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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第158回)

・『足ながおじさん』

20世紀アメリカを代表するミュージカル・スター、あのフレッド・アステアが足ながおじさんを演じた、55年公開のミュージカル映画

アステア御大、本作公開当時すでに50代後半であったはずだが、冒頭からして軽快に歌って踊るのだから恐れ入る(^▽^;)

テンポもよく、明るく楽しいミュージカル映画だ。

終盤は、終始音楽だけが流れセリフが一切無いなか、ヒロインがバレエを舞う。あの『巴里のアメリカ人』をほうふつとさせる、実に幻想的なラストだ。

 

 

・『アニー』

ブロードウェイ・ミュージカル『アニー』は、これまでたびたび映画化されている。

今回取り上げるのは、最初の映画化作品である、1982年版。監督はなんと、あの『マルタの鷹』のジョン・ヒューストンだ。

NYのある金持ち夫婦が、孤児院から女の子・アニーを一時的に引き取る。当初はマスコミ向けのPRに過ぎなかったが、アニーとともに過ごすうちに家族の大切さに気付き、いろいろあって最後はアニーを養子として引き取る、というお話。

とにかく主人公・アニーが明るくチャーミングでかわいい!

映画全体もとても明るくテンポよく、万人が楽しめるエンターテインメント作品へと仕上がっている。

1930年代が舞台というのが、また良いねw この時代にはなんともいえない、独特の匂いがある。

主題歌“Tomorrow”が頭から離れない。

 

 

・『アラスカ珍道中』

ビング・クロスビーらが主演をつとめた『珍道中』シリーズは40~50年代にかけて人気を博し、7作まで制作された。

今回ご紹介するのは、1946年に制作された4作目『アラスカ珍道中』。

金鉱の地図を手に入れた主人公一行が、一路アラスカへと向かうという内容だ。

魚や熊がしゃべったり、パラマウント映画のオープニングロゴをあしらったギャグもあったりと、終始コミカルな映画であった。

ハリウッドにありがちなご都合主義展開を逆手に取った楽屋オチ的なお笑いが『珍道中』シリーズの人気の秘訣だったが、さすがに現代の我々の目には、やや色あせて見えるかもしれない。

 

アラスカ珍道中 [DVD]

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・『アメリカ交響楽』

実在した音楽家ジョージ・ガーシュウィン(1898‐1937)の生涯を描いた伝記映画。

「…誰ソレ?」と思われる方も多いかもしれないが、彼の代表作“ラプソディ・イン・ブルー”や“パリのアメリカ人”を聞けば、「あぁ、あの曲かぁ!」と納得するはずである。

そんな誰もが知っている名曲たちが次々流れる本作。

どうしてだろう、この時代にはまだ生まれてもいないはずなのに、懐かしい気分にさせてくれるのは。

 

アメリカ交響楽 [DVD]

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・『5つの銅貨』

これまた実在のコルネット奏者レッド・ニコルズの半生を描いた映画である。

1920年代のNY。主人公のニコルズ青年はジャズ界の大御所ルイ・アームストロングの出演する闇酒場(※)に飛び入りでセッションをし、実力を認められる。

※当時は悪名高い禁酒法の時代であった

やがて楽団を結成、全米で巡業を行うが、多忙のなか、娘が小児麻痺で倒れてしまう。これまで仕事一筋で家庭を顧みなかったことを反省したニコルズは、音楽の世界から足を洗い、LAの造船所の職工となって娘を支えていく。

やがて娘に励まされた彼は、ふたたび楽器を手に取って練習を重ね、かつての実力を取り戻していく。復帰公演ではあのルイ・アームストロングも駆けつけ、盛大なセッションが繰り広げられる。

…というわけでおいしいところばかりもっていく(w)ルイ・アームストロング、なんとご本人の出演である。間違いなく、本作一番の見どころだろう。

中盤、レストランにて新しいアレンジの楽譜を渡されたメンバーたちがそれぞれのパートを口ずさむと、そのままシームレスにセッションの場面へとつながる。

なんでも脚本家の三谷幸喜氏は、このシーンに感動して脚本家になることを決めたんだとか。

そういう意味では、とても重要な映画なのだ。

 

5つの銅貨 [DVD]

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書評『外務省ハレンチ物語』

作家・佐藤優さんの仕事の幅は、実に広い。

そもそも彼の肩書が「作家」なのは、彼が『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』や『自壊する帝国』などのノンフィクション作品で論壇にデビューしたからである。

だがノンフィクションのほかにも、十八番のインテリジェンス(諜報活動)について解説した著作も多いし、そもそもの専門であるキリスト教神学についてかなり高度なレベルで議論している著作も多数ある。

だが、今回ご紹介する『外務省ハレンチ物語』徳間書店ータイトルから察しがつくかもしれないがー佐藤さんとしては異色の著作である。

なぜって、この本、官能小説なのだ(w

 

本著は三つの章によって構成されている。

一つ目は、日本のある政治家がモスクワにてロシア人の商売女性との間で起こしたトラブルを、当時外務官僚だった佐藤さんがもみ消すという話。政治家の名前こそ仮名となっているものの、この章では佐藤さんはちゃんと「佐藤優」と本名で登場する。

二つ目は、「首席事務官はヘンタイです」と、かなり直截なタイトルがつけられた章。ここでは外務省の規格外の非常識、ハレンチぶりが白日の下にさらされる。読者は唖然とすること請け合いである。

この章では佐藤さん本人は(少なくとも実名では)登場しない。そのかわりに、モデルが自明な「有力政治家」や「西郷茂・外務審議官」、そして「加藤勝・主任分析官」が暗躍するのである。

三つ目は、「家事補助員は見た」という、なんだか某テレビドラマシリーズみたいなタイトルがつけられた章。こちらは在ソ日本大使館に勤務する女性の独白というややユニークな形式で著されているが、ここでもやはり非常識なハレンチ外務官僚たちが仮名で登場、上述の「加藤分析官」も大活躍する。

相変わらず外務省の腐敗体質がこれでもかというほど描かれる一方、インテリジェンスのシビアな世界も垣間見えるのがこの章の特徴だ。

いずれの章も、官能小説というだけあって、セックスに関する描写が豊富である。それが目当てで本著を紐解くという読者も、もしかしたらいるかもしれない(;^ω^)

 

それにしても、佐藤さんはどうしてまた官能小説など書く気になったのだろう。

本著あとがきにて、佐藤さんはネタ晴らしをしている。

≪現下、外務省の能力低下、腐敗、無気力、不作為対質は想像を絶するような状態にある。しかし、それをノンフィクションの形態で書くとセクハラやパワハラの被害者に追加的な負担をかけることになってしまう。また、ノンフィクションの形態でハレンチ事案について記すと、その事実が政治家の権力闘争、高級官僚の人事抗争に利用される。それは筆者の本意ではない。

 いろいろ考えた結果、「官能小説」という形態をとると、外務省の問題に今までとは違った切り口から焦点をあてることができるのではないかという、とりあえずの結論に至った。≫(249‐250頁)

かくして異色の官能小説『外務省ハレンチ物語』が世に出ることと相成ったのである。

 

あとがきでは、また例によって佐藤さんが外務省時代に“お世話になった”外務官僚たちの実名が挙げられている。

≪もちろんこの小説は完全なフィクションなので、これからお名前をあげる人たちをモデルにしているわけではないので、読者はくれぐれも誤解しないでいただきたい≫(252頁)

こういう皮肉たっぷりの書き方がいかにも佐藤さんらしくて、実によろしい。

 

外務省ハレンチ物語 (徳間文庫)

外務省ハレンチ物語 (徳間文庫)

 

 

書評『甦るロシア帝国』

本ブログでは以前、作家・佐藤優さんの『自壊する帝国』を取り上げたことがある。

当時、外交官としてソ連に赴任していた佐藤さんが、今まさにソ連が崩壊していくその過程を、一外交官の視点から克明に描いたノンフィクションだ。

 

今回取り上げる本は、『甦るロシア帝国文芸春秋。これまた、ソ連末期の混乱を描いた、佐藤さんによるノンフィクションである。

『自壊する帝国』に出てきたソ連の個性豊かなインテリたちは、本著にも多数登場する。

佐藤さんの親友であったラトビア人のサーシャや、無神論を捨ててロシア正教に入信し、最終的にはイスラムに改宗することになるポローシン神父、そして語学がきわめて堪能でいくつもの言語を自在に操るアルチューノフ先生ソ連科学アカデミー民族学研究所コーカサス部長)、といった顔ぶれだ。

本著において佐藤さんは、キリスト教神学について、ナショナリズムについて、彼らインテリたちときわめてレベルの高い議論を展開していく。

話があまりに難しすぎてついていけない、という読者の方も多いかもしれない。一方、これまでに佐藤さんの著作を複数読んでいるという読者の方ならば、佐藤さんが日本の論壇で今日展開している議論が、実は当時のソ連のインテリたちとの対話を基盤としていることに気がつくはずである。

また、佐藤さんと彼らの対話を通じて、共産主義の本家本元のはずのソ連の人間たちが、その実、マルクス主義をまるで理解していなかったことも明るみになる。この点も、実に興味深い。

 

本著のわりと前半のほうに「アフガニスタン帰還兵アルベルト」と題された章がある。

タイトルの通り、ソ連によるアフガン出兵に従軍し、帰還した元兵士の青年・アルベルトの証言を中心とする章だ。

アルベルト青年の話す内容は、極めてショッキングだ。アフガンに駆り出された彼は、そこでソ連軍の若い兵士たちが現地のゲリラたちによって惨たらしく殺されるさまを数多く目撃してきた。

いや、「殺される」のならまだいいほうなのだ。もっとひどいと、長時間苦しむように、あえて半殺しのまま砂漠に放置されるのだという。ソ連軍の兵士たちは半殺しにされた戦友を「楽にする」ため、涙を流しながら彼らを射殺するのだ。

 

本著を読んでいると、ソ連崩壊という歴史上のカタストロフが、いかに当時の市井の人々の人生を狂わせてしまったかを思い知らされる。

本来ならば大学の学部を優秀な成績で卒業し、そのまま大学に残って研究者になれるはずだったエリート女子学生が、経済的な理由から大学を去ることを余儀なくされ、外国人富豪の愛人となり、シングルマザーとなる。

本著で取り上げられている話は、氷山の一角にすぎない。そういった話は、ロシアに山ほどあるのだろう。

 

さて、もう一度、本著のタイトルを見てほしい。

『甦るロシア帝国』、である。

現在のロシアは、もちろん、まだいろいろと問題を抱えてはいる。それでも、ソ連崩壊直後のあの危機的な状況は脱したことは間違いない。

帝国は復活した。それは日本にとっては、ある意味では厄介な隣人が力を盛り返したともいえる。だが別の意味で言えば、国が復活したという事実は、「失われた20年」で苦しむ現下の日本を、日本人たちを、勇気づけるのである。

 

 

これは余談であるが。

佐藤さんによると、ソ連では学生が亡命することのないよう、語学教育はソ連国内のみにて行われていたという(そのためソ連の語学教育の水準は高かった)。

僕は何年か前にロシアを訪れたことがあるが、その際お世話になった通訳の方ー体重150キロくらいの、大変な巨漢であったーが、日本語がきわめて流暢であったにもかかわらず、日本には一度も行ったことがないのだと聞かされて驚いた経験がある。

本著を読んで、「…あぁ、これが理由か」とようやく腑に落ちたのだった。

 

甦るロシア帝国 (文春文庫)

甦るロシア帝国 (文春文庫)

 

 

書評『世界史の極意』

高校生の時分、僕が一番好きで、かつ得意だった科目は、世界史であった。

 

皆さんはどうだったろうか。

「えー、世界史ィ? 延々と歴史用語の暗記ばかりさせられて、もう辟易したよ~」という人も少なくないかもしれない。

だが、世界史は、極めて重要度の高い科目である。

世界中でナショナリズムが火を噴いている21世紀の今日、ビジネスパーソンは世界史を当然のごとく押さえていなければならない。

いや、なにもビジネスで世界を飛び回らなくたっていい。この21世紀の世界を生きる我々は、世界史を基礎教養としなければならないのだ。

 

とはいうものの、本棚の隅でほこりをかぶっている高校時代の世界史の教科書を引っ張り出してみたところで、正直あまり意味はない。単に年表を漫然と眺めているだけでは、過去と現在がどのようにリンクしているかが、わからないからだ。

今回ご紹介する、作家・佐藤優さんの『世界史の極意』(NHK出版)は、世界史を学びなおすうえで、まさにうってつけの書籍だ。

 

世界史を勉強する目的はなにか。佐藤さんによれば、それは≪過去に起きたことのアナロジー(類比)によって、現在の出来事を考えるセンス≫(10頁)を身に着けることである。

アナロジーとは何ぞや。似ている事物を結びつけて考えることである。

歴史は反復する。世界史を遡って、過去に現在と似た現象が起こっていたことに気づけば、それを手掛かりに、今我々が何をなすべきかについて考えることができる。

佐藤さんによれば、現在の世界は、19世紀末‐20世紀初頭の帝国主義の時代と似ている。かつてのような植民地を必要としないので佐藤さんは「新・帝国主義」と呼んでいるが、本質は帝国主義と同じである。

すると、かつての帝国主義について学べば、今日の世界を考える上でのヒントが得られることになる。

こういう思考が、アナロジーなのである。

 

佐藤さんのねらいは、本著を通じて世界史をアナロジカルに見る訓練を読者にほどこすことである。

そのために、本著は「資本主義と帝国主義」「民族とナショナリズム」「キリスト教イスラム」という3つのテーマを取り上げている。

これらのテーマに関する佐藤さんの説明をしっかりと読めば、世界情勢をアナロジーによって理解できるようになる。国際ニュースを見る目がだいぶ変わるに違いない。

 

さて、本著を概観して最も印象に残ったのは、終盤で佐藤さんが述べている「プレモダンの精神をもって、モダンをリサイクルする」という言葉だ。

なんのこっちゃ、と思われるかもしれないが、要はこういうことだ。

資本主義、国民国家によって代表される近代(モダン)というシステムは、まだまだ終わらない。したがって、近代の次の時代ポストモダンを構想するのは時期尚早である。我々が目指すべきは、近代という枠組を維持したうえで、戦争を止めること(モダンのリサイクル)なのである。

しかしそれだけではない。宗教的な、「見えない世界」へのセンス(プレモダンの精神)もまた求められると佐藤さんは言う。そのセンスとは、より専門的に言えば、キリスト教神学における実念論である。「目には見えなくとも存在するもの」があることを認める、ということだ。

こうしたプレモダンの精神でもって、我々は現下のモダンの世界を維持しなければならないのである。

 

佐藤さんは、目には見えない<なにか>への畏敬の念の強い人である。

それは、極めて根源的な意味での「右翼」と言っていい。

すると、これからの時代、求められるのはそうした「右翼」なのかもしれないな、と本著を読みながら僕は思った。

 

世界史の極意 (NHK出版新書)

世界史の極意 (NHK出版新書)

 

 

書評『新約聖書』

「…ファ!? し、新約聖書の書評ってwwww」

と、タイトルを見て皆さん思われたかもしれない(;^ω^)

 

今日取り上げるのは、文春新書にまとめられた、新共同訳『新約聖書(全2巻)だ。

解説を担当するのは、佐藤優さん。

本ブログではこれまで佐藤さんのことを、なかば定型句的に「元外交官にして作家という異色の経歴を持つ~」と紹介してきた。

だが、そもそも佐藤さんは同志社大学神学部の出身。本来、外交官になるつもりはなく、チェコ神学者について研究するため、チェコ語の研修を受けに外務省の門をたたいたのだった。

佐藤さんは、インテリジェンス云々以前に、そもそもは神学の人だったのだ。新約聖書の解説役には、したがってうってつけと言えるだろう。

 

本著では、新約聖書を構成する27のテキストが新書2冊のかたちでまとめられており、それぞれのテキストの前には佐藤優さんによる解説文が添えられている。

さらに、1巻、2巻それぞれの巻末には、「私の聖書論」と題した佐藤さんの論考が載せられている。これらの論考は、新約聖書からは独立したひとつの読み物として楽しむことができる。

本ブログでも、むしろこちらの論考のほうを中心に解説したいと思う。

 

1巻巻末の『非キリスト教徒にとっての聖書ー私の聖書論Ⅰ』にて、佐藤さんはかなりページを割いて、文芸評論家・柄谷行人さんの『世界史の構造』について解説している。

「え、聖書の解説のはずなのになんで柄谷が出てくるの?」と読者は不思議に感じるに違いない。だが、もちろんこれには意味がある。

我々が暮らすこの社会を支えているのは、モノの交換のしかたーすなわち交換様式である。

柄谷さんは、既存の交換様式、すなわち、互酬、略取・再分配、商品交換とは異なる、新しい交換様式、言うなれば「交換様式X」こそが、我々人類が追い求めるべき理想の交換様式だとしている。

当然それは、従来のソ連社会主義とは異なる。柄谷さんによれば、それは「自由で同時に相互的であるような交換様式」なのだ。

…なんだか抽象的すぎて、分かるような分からないような説明だ。だが佐藤さんは、新約聖書の四つの福音書のなかでイエスが説いている社会のありかたこそ、柄谷さんのいう「交換様式X」に他ならないと見ているのだ。

 ≪国家も貨幣も、それが人間社会にある以上、拒否はしないが、そこに究極的価値を見いだしてはならないというのがイエスの教えなのである。それだから、キリスト教徒は自らの価値観を国家や貨幣と同一化してはならないのである。≫(375頁)

このように新約聖書を柄谷さんの議論と絡めながら読むと、知的好奇心を大いに刺激されることだろう。

 

『私の聖書論Ⅰ』にて佐藤さんはこのほかに、自らのお母さんのエピソードについても書いている。

本ブログでも以前書いたが、佐藤さんのお母さんは沖縄の人で、沖縄戦の際には自決を覚悟したが、寸前のところで傍にいた日本兵が投降を勧めたことから、自決を思いとどまったのであった。

そのおかげで、異色の知識人・佐藤優はこの世に生を受けることができたのである。

これは、日本国家が佐藤優という得がたい知性を手に入れることができた、という意味でもある。

このような生い立ちの経緯に、佐藤さんが「神の意思」を感じているだろうことは想像にかたくない。そしてそれが、知識人・佐藤優をきわめて宗教的な実存の持ち主へと育てたのだろう。

 

新約聖書 1 (文春新書 774)

新約聖書 1 (文春新書 774)

 
新約聖書 2 (文春新書)

新約聖書 2 (文春新書)

 

 

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書評『地球を斬る』

地球「ひぃ! き、斬らないでぇ…」

 

という地球の悲鳴が聞こえてきそうな(←?)、作家・佐藤優さんによる論考集。

だが本著を紐解くと、地球を斬るというよりかはむしろ、「外務省を斬る」と言ったほうが本著のタイトルとしてはより適切であることに気づく。

 

佐藤さんは、自らの古巣・外務省を容赦なくこき下ろす。それは、外務省の無能・無作為こそが日本の国益を棄損してきたと佐藤さんが考えているからである。

領土問題、拉致問題のような日本の国家としての主権がかかわる問題で、毅然とした態度をとることができない。そのせいでロシアはじめ諸外国からはナメられがち。そんな現状に対し、愛国者である佐藤さんはいら立ちを募らせているのだ。

しかし、外務官僚のすべてがすべて無能というわけではもちろんない。

外務官僚のなかで佐藤さんが(例外的に)評価しているのが、谷内正太郎・外務事務次官(肩書は当時)である。

小泉政権から第一次安倍政権へと移り、日本の外交戦略に変化が見られた。≪日本外交が輝きを取り戻している。東京にいる外国人情報専門家たちは「率直にいって、小泉前政権と同一国家の外交か、にわかには信じられない」と感想を述べている。筆者は「その秘訣は安倍官邸が外務官僚の能力を十二分に引き出しているからです。キーパーソンは谷内正太郎外務事務次官です」と答えている≫(180頁)

谷内次官の有能な点は、外務省の中国課長にチャイナスクール(中国語を専攻したキャリア外交官)を起用しなかったことである。チャイナスクール中国当局者と腐れ縁があるため、いざというときに毅然とした対応が取れなくなってしまうのだ。

谷内次官の人事はさっそく効果を発揮した。

温家宝首相との晩餐会で安倍首相が行うスピーチに対し事前に中国側が変更を求める事態があった。安倍氏は中国側の要請を拒み、スピーチを中止した。従来のチャイナスクール主導外交では首相に頼み込み何とかスピーチを行う体裁を整えただろう。(中略)その結果、日中関係が悪化したわけではない。むしろ一〇月九日に「中国政府より在中国日本国大使館に対し、北朝鮮が間もなく核実験を行うであろう旨の事前の情報伝達が行われた」(二〇日付内閣答弁書)という成果をもたらしている。中国による理不尽な要求を安倍首相が拒絶したので、むしろ中国は日本に対して一目置き、情報協力を深化させたのだ≫(181頁)

この箇所は非常に興味深い。中国に唯々諾々と従う人間よりかはむしろ、自国の立場を毅然と主張する人間のほうをこそ、中国は評価するのだ(この点、中国人はアメリカ人と似ている)。中国に対し毅然とした態度をとれる谷内次官のような人物こそむしろ、本当の意味での親中である。今の日本で親中と呼ばれている人間たちは、ただの「媚中」に過ぎない。

 

谷内次官のほかに、佐藤さんがその能力を高く評価しているのが、東郷和彦・元欧亜局長である。

実をいうと、この東郷さん、佐藤さんの外務省時代の上司にあたる人物である。佐藤さんは、鈴木宗男議員とこの東郷さんの3人で、北方領土交渉に当たっていたのだ。

その東郷さんは、「靖国参拝モラトリアム」を提言している。日本で戦没者の追悼に関するコンセンサスができ、国家が過去の戦争についてきちんと総括するまでは総理や閣僚の靖国参拝を行ってはならないというのが、その内容だ。

と書くと、「なんだ、東郷って人はサヨクなのか」と思われるかもしれない。だが、そうではないのだ。

東郷さんの祖父は東郷茂徳・元外務大臣靖国に合祀されたA級戦犯14人のうちのひとりだ。

≪「僕は子供のころから日米戦争は日本の自衛戦争だったと聞かされて育ってきました。東京裁判は勝者の裁きで、連合国に日本を裁く権利はないと僕は確信しています」というのが東郷氏の口癖だった。その東郷氏がなぜ、総理の靖国参拝を凍結せよと言うのだろうか。

靖国に祭られている英霊たちは、愛する人のため、天皇陛下のため、そして東亜の平和のために死んでいったんだよ。靖国問題が日中間のつまづきの石になっているのは、東亜の平和を信じて死んでいった英霊に対して申し訳ないと思うんだ」と東郷氏は言う。≫(128頁)

中韓に対する過激な主張が頻繁に飛び交う今日にあって、東郷さんのこの言葉は重みをもって読者にのしかかってくるのである。

 

 

外交やインテリジェンスの世界では専門的な用語が多く用いられるが、本著では佐藤さんの論考のあとに「キーワード」としてこれら専門用語が解説されている。僕らのような素人の読者にとってはありがたいことだ。

このほか、単行本化にあたって佐藤さんが各論考のあとに新たに書き下ろした「検証」もまた興味深い。これを見ると、佐藤さんが「本稿を執筆した時点では~~まで筆者の関心は向かなかった」とか「~~ということが見抜けなかった。その意味では限界がある論考だ」といった具合に、結構自己批判をしている。

あぁ、あの佐藤さんといえども、やっぱり人の子なんだ、とちょっぴりおかしかった。

 

地球を斬る (角川文庫)

地球を斬る (角川文庫)

 

 

書評『予兆とインテリジェンス』

元外交官にして作家という異色の経歴を持つ、佐藤優さん。

本著は、そんな佐藤さんの新聞・雑誌での連載をまとめて書籍化したものだ。

 

本著には、佐藤さんが05年から11年3月にかけて各媒体で執筆した論考が載せられている。

このような構成には、もちろん意図がある。

すべて3.11以前に書かれた時評をまとめることで、日本社会が3.11以前からすでにゆっくりと「壊死」しつつあったことを浮き彫りにするためだ。

本著は、「霞が関と永田町」「外交について」「自らと社会について」という3つの章に分かれている。佐藤さんはそれぞれ、霞が関、外務省、そして日本社会そのものに向けて警鐘を鳴らしているのだ。

 

例によって、個人的に興味深いと感じた箇所を挙げてみるとしよう。

第2章に、「もし核武装のためにアメリカ政府を説得せよと命じられたら」と題した論考が掲載されている。

佐藤さんは、“現時点では”核武装に反対だという。だがインテリジェンスの世界では、自らの考えと異なる仕事を命じられることも、多々ある。この論考のなかで、佐藤さんは「もし日本の核武装についてアメリカ政府を説得せよと命じられたら」という仮定のもと、日本がとるべき行動をシミュレートしているのである。

佐藤さんはまず≪アメリカを説得する場合、アメリカの政治エリートに直接働きかけるロビー活動と、第三国を経由して背後で影響力を与える二つのアプローチを筆者ならばとる≫(149頁)としている。

アメリカの政治エリートのなかから対日政策に影響を与えうる約50人を選び、日本からインテリジェンス・オフィサーを5~10人ほど送り込んで、会合を持たせる。そこで、以下のような筋道で話をするのだ。

1.親米保守時代の終焉(冷戦が終結した以上、保守は必ずしも反共親米である必要はなくなった)

2.日本人の対米感の変化(1943年の大東亜会議の時点で日本がアメリカの侵略主義を弾劾したという歴史的事実を第一次安倍政権が認めた)

3.帝国主義時代の反復(冷戦が終結し、世界はある意味では、第一次大戦以前の帝国主義の時代へと回帰している)

4.核保有は現行日本国憲法によっても認められていること(日本の核武装憲法という基本法の「ゲームのルール」のなかで実現されるということを強調)

佐藤さんは、≪アメリカの政治エリートに対する説得工作はこのような哲学的議論で十分≫(157頁)だとしている。

 

続いて、第三国を経由して影響力を与えるアプローチについて。

佐藤さんはユダヤ・ロビーを通じて、日本の核保有がアメリカとイスラエル国益に合致することを、対日関係とは直接関係のないアメリカの政治エリートに働きかけてもらう≫(157頁)としている。ここでのポイントはふたつ。

1.日本の覚悟を明らかにする(日本が生き残るためには核武装しかなく、そのせいで全世界を敵に回したとしても生き残るという覚悟を日本人が持っていることをユダヤ・ロビーに理解させる)

2.イラン・カードの活用(日本が持つイランに関する情報をイスラエルに提供する)

 

以上のインテリジェンス工作を経て、アメリカ政府に日本の核武装を容認させる、というのが佐藤さんの提言である。

 

…あらためて、佐藤さんの外務官僚としての能力の高さに感服してしまった。

本来であれば、佐藤さんには執筆活動を一時中断してでも外務省に戻り、日本の国益のために働いてもらうべきと僕は思っている。

皆さんはどう思われるだろうか。

 

予兆とインテリジェンス

予兆とインテリジェンス