Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

お盆編・ラブライブ聖地巡礼ずら!(沼津編)

みなさん、こんにちわ!

今回はお盆での帰省を利用して、アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の聖地・静岡県沼津市を巡礼してまわろうと思います♪


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こちら、沼津駅を出てすぐのところにある、モスバーガー富士急沼津店です。
俺の嫁曜ちゃんと梨子ちゃんがお出迎えしてくれました♪

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上土地区のマンション「ナティ沼津」(通称「ヨハネマンション」)にて。
善子ちゃんは押しも押されぬ上土のアイドルです。

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こちら、店長がラブライバーであることで有名(?)な、ファミリーマート沼津港前店です。
千歌ちゃんのジャンボサイズぬいぐるみがお出迎えしてくれました。

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沼津港内のとあるお店にて。

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すごい! 店内『ラブライブ!サンシャイン!!』一色ですよ!

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もはや観光大使状態の千歌ちゃん。

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こちらでも千歌ちゃん大活躍!

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綺麗に陳列してるだろ。魚屋さんなんだぜ、コレ…

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こちら、アニメ本編でも登場した大型展望水門「びゅうお」です。
さっそく中に入ってみましょう!

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びゅうお展望フロアにて。
曜ちゃんと鞠莉ちゃんがここの椅子に座っていましたね。

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びゅうお展望フロアより沼津港を望む。

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あ、淡島が見えるよ! 分かりますか?(画面真ん中あたりに淡島ホテルの建物が見えます)

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駿河湾を望む。

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びゅうおを後にして、海づたいに歩いています。これから、芹沢光治良記念館にむかいます。

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芹沢光治良記念館に到着しますた!
その名の通り、郷土の文豪・芹沢光治良(1896-1993)の遺品を収めています。
親切な女性館員さんから『ラブライブ!サンシャイン!!』関連の資料をもらいました。

…ってなんで僕がラブライバーって分かったの!?(www

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館内にはズラ丸ちゃんの寝そべりぬいぐるみが置かれていましたが、撮影禁止とのことでやむなく撮影を断念。
代わりと言ってはなんですが、館内のらせん階段を撮っています。

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さぁ、次回は内浦を訪問しますよ!

書評『隠岐島コミューン伝説』

隠岐島コミューン」とは、いったい何だろう。

 

コミューンとは本来、自治的共同体のことを指すが、学校教育を受けた我々現代日本人がコミューンと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、「パリ・コミューン」なのではないか。史上初の社会主義政権といわれる自治体である。

あるいは、戦後のヒッピーたちの共同体も、コミューンと呼ばれていたっけ。もっとも、こちらの実態はただの「ヤリサー」だったようだけど。

 

話を戻す。「隠岐島コミューン」とは、明治維新直後の隠岐国(現島根県に一時的に誕生した、島民による自治共同体のことである。

本著『隠岐島コミューン伝説』は、そんな幻の隠岐コミューンに迫ったノンフィクションである。

著者は、評論家の松本健一さん(1946‐2014)。おもに戦前右翼に関する著作で知られている。

 

明治初期、「廃仏毀釈」なる運動が起こった。中世以来、融合していた仏教神道とを強引に分離し、前者を破壊するという、なんともブルータルな運動であった。

この廃仏毀釈が徹底して行われたのが、奈良県南部の山奥にある十津川と、隠岐であったのだ。

地図を見れば一目瞭然だが、十津川と隠岐とは遠く隔たっている。ではこれら二地域の共通点は何か。

どちらも尊王の志向が強く、中央から隔てられているため古来より自治意識が高かったのだ。

そして、中沼了三(1816‐1896)というひとりの儒者をいわば触媒とすることで、似た者同士だったこれら二地域は連動して廃仏毀釈を行い、隠岐はコミューンを起こしたのである。

その具体的経過については、ぜひ本著を読んでほしい。

 

それにしても松本さんは、どうしてまた、よりにもよってこんな地味な(←失敬!)題材を扱おうと決めたのだろう。

あとがきにて、彼はこう述べている。

≪わたしは人から、よくそのようにつぎつぎと書く材料が見つかりますね、といわれる。しかし、わたしが好きな材料を選んで書いているのではないのである。そうではなくて、歴史のなかに沈んでいる死者たちに選ばれて、わたしは書きつづけさせられているのだ。死者が生者としてのわたしをとらえ、何年もとらえられたまま逃げられないと意識することによって、わたしはその死者たちの像を、沈黙の底にある思いを、そうしてその歴史における位置を描こうとしてきたのである。≫(189頁)

「書きつづけさせられている」というのは、なかなかにすごい表現だ。

松本さんは、コミューンを起こした隠岐の先人たちの霊に呼ばれ、導かれて、この本を「書かされた」のに相違ない。

 

以前にも書いたように、戦前右翼の大物・北一輝は霊感のある人物で、霊との交信を日記に残していた。

松本さんの場合、北と違って心霊現象を体験していたとは思えないが、なんと言えばいいか、より広い意味での“霊感”が備わっていたのだろう。

 

隠岐島コミューン伝説 (松本健一伝説シリーズ)

隠岐島コミューン伝説 (松本健一伝説シリーズ)

 

 

書評『帝国海軍と艦内神社』

ゲーム『艦これ』のおかげで、旧帝国海軍の軍艦に関心を持つ若い人が増えている。

 

僕はというと…あいにく、軍事には明るくないのだ。

そのため、本著『帝国海軍と艦内神社』祥伝社を読むまでは、恥ずかしながら「艦内神社」なるものが存在したことすら、全く知らなかった。

著者は、久野潤さん。1980年生まれ、30代の気鋭の保守論客のひとりだ。

 

艦内神社というのは、軍艦のなかにもうけられた小さな神社のことである。

日本の軍艦は、主に地名にちなんで名づけられているため、その土地ゆかりの神社を勧請してまつることが多かったらしい。

たとえば、『艦これ』でもおなじみ戦艦「長門」は、長門国(現山口県一之宮である住吉神社を勧請。これまた『艦これ』でおなじみ空母「加賀」は、加賀国(現石川県)一之宮の白山比め神社を勧請していたという。

 

本著の第四章「艦内神社の分霊元を訪ねて」では、実に本著全体の半分近くものページを割いて、旧帝国海軍の軍艦の分霊元が掲載されている。そのデータの豊富さに圧倒される。

興味深いのは、樺太の神社までもが勧請されているという事実だ。

巡洋艦「鈴谷」は、樺太流れる鈴谷川にちなんで名づけられた。そのため、当時は日本領であった樺太の、樺太神社が勧請されたのだ。

 

それにしても、軍艦にまで神をまつるという日本人の発想が、実に面白い。

艦内神社に限らず、近代日本人は「飛行神社」なる神社まで建立してしまった。いうまでもなく、空の安全をつかさどる神社である。

久野さんは、こう書いている。

≪世界の歴史上、ある国が近代化/産業化すれば、その国古来の文化・伝統を切り崩しながら発展してゆくのが常識である。ところが我が国においては明治維新による近代化以降も、最先端技術の守り神は、逆にもっとも古い神々なのであった。世界に誇れる最新の帝国海軍の軍艦も、艦内神社というかたちで神々にまもられていた所以である。≫(85頁)

そのうち、「インターネット神社」や「リニアモーターカー神社」まで建立されるかもしれない。

 

日本人が無宗教だというのは、嘘だ。日本人は21世紀の今日でもなお、神道を信仰しているのである。

 久野さんは、以下のように述べて本著のあとがきとしている。

歴史学者の端くれとして、かつて日本人にとって、日本の国防にとって神社(神々)はこういう存在であった、それがたとえばいわゆる「国家神道」によって上から強制されたものではなく、古来の自然な信仰によるものであったということを、まずは静かに伝えてゆきたい。

 そうした想いで筆をとったのが本書である。本書を読んでくださった方々が、ではなぜ現在「政教分離」なる抽象的な言葉が幅を利かせて日本人が神道について神経質になっているのか、あるいは“戦前の反省”というこれまた抽象的な建前で、命がけで戦った先人たちの自然な心の支えが今なぜ否定的に取り上げられるのかといった問題意識を共有してくだされば、これにまさる喜びはない。≫(248‐249頁)

 

…これは蛇足であるが。本著を読んでいる間、僕の頭の中ではどういうわけだかB'z『OCEAN』が絶えず流れていた。

 

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海
 

 

書評『破天』

インドは、仏教発祥の地である。

にもかかわらず、今日のインドは仏教国とはいいがたい。ヒンドゥー教によって駆逐されてしまったせいだ。

だが20世紀、インド仏教は力強く復活を遂げた。本ブログでも以前評伝を取り上げたビームラーオ・アンベードカル博士(1891-1956)によって、仏教カースト最底辺の不可触賤民を救う宗教として位置づけられたのである。

アンベードカルの没後、彼に変わってインド仏教を率いたのは、驚くなかれ、日本人であった。

佐々井秀嶺(しゅうれい)師である。

 

実を言うと、僕はこの佐々井さんにお会いしたことがある。

2009年6月7日、佐々井さんは東京・護国寺にて公演を行った。僕はそれを聞きにいったのだ。

凄い。

ラウドスピーカーなんて使っていないのに、声がガンガン響く。

会場となった寺院はすでに人でいっぱいだったため、僕は寺院の外で佐々井さんの話を聞いていたのだが、そこにも彼の声が余裕で届く。

まるで龍のような人だな、と思った。

 

本著『破天 インド仏教徒の頂点に立つ日本人』光文社新書は、そんな佐々井さんの半生を描いた評伝だ。

著者は、山際素男さん。先日紹介した『アンベードカルの生涯』の訳者でもある。

新書ではあるが、新書というよりかはむしろ文庫本に近いほどの分厚さである。活字も小さい。

読破するのは一日がかりとなるが、非常に読み応えのある本である。

 

青少年時代の佐々井さんは、暗い青春を送った。

やることなすことすべてうまくいかない。

太宰に心酔し、『人間失格』が愛読書だったという。

え、と驚いた。あの龍のような佐々井さんのイメージと、まるで結びつかなかったからだ。

驚くと同時に、身近にも感じた。僕だってこれまで決して華やかな前半生を送ってきたわけではない。

 

やがて、高尾山の師匠の助けでタイに留学した佐々井さんは、その足で仏教発祥の地・インドへ行く。当初は短期間の滞在の予定であったが、運命の歯車で、佐々井さんは最終的にインドに帰化することになる。

誰にでも「天命の地」というべきものがある。佐々井さんの場合、それはインドだったのだ。

インド滞在中、佐々井さんは不思議な老人の夢を見る。

その老人は、自らを大乗仏教の中興の祖・龍樹(ナーガールジュナ)だと名乗り、ナグプールに行け、と言う。行動力ある佐々井さんはさっそく、インド中部の都市ナグプールへと赴き、そこで初めてアンベードカルなる人物を知ったのである。

奇遇にも、写真のなかのアンベードカルは、佐々井さんが夢で見た龍樹を名乗る老人の姿と瓜二つだったという。

 

ナグプールに渡った佐々井さんは、当初こそ住民から奇異の眼で見られたものの、断食などの荒行を通じて次第に彼らの心をつかんでいき、やがてアンベードカルに代わるインド仏教の指導者として頭角を現していく。

インド民衆からすれば外国人である佐々井さんが、一体どうしてインド仏教の指導者となることができたのだろう。

「カリスマだから」というのが理由のひとつ。

上述の通り、佐々井さんの声は非常に大きく、よく通る。本著を読んでいると、佐々井さんが講演の際、大声で観客たちを圧倒したという記述が多数出てくる。護国寺にて謦咳に接した僕には「ああ、あれか」とよく分かる。

だがもうひとつ、理由があった。彼は外国人であるがゆえに、カーストによる差別を一切しなかったのである。

差別は一朝一夕ではなくならない。インドではカーストによる差別は憲法で禁止されたとはいえ、それでもなお人々の心の中にカースト制度は暗い影を投げかけているのである。

一方、佐々井さんは日本人であったため、カーストに関係なく、誰にでも平等に接することができた。だからこそ彼は、インド仏教の指導者となることができたのだ。

 

本著後半は、佐々井さんが仏教の聖地・ブッダガヤをヒンドゥー教徒たちから「奪還」する過程が描かれる。

長年ヒンドゥー教の管理下にあったブッダガヤの大菩提寺を、仏教徒のみによる管理へと移行させるという運動である。

佐々井さんたちはインド政界に精力的に働きかけ、ついに「奪還」に成功するのである。

 

佐々井さんはもちろんご存命であるが、その常人離れした業績はもはや「歴史上の人物」といっていい。

どうして我々日本人は、これほどまでに偉大な日本人の存在を知らないままなのだろう。

「見てください! 外国人観光客はこんなにも日本を絶賛しています!」などとクダラナイ日本礼賛番組を垂れ流すくらいだったら、このような日本人の業績を紹介したほうがよっぽど日本人の誇りになると思うのだが…

 

佐々井さんのみじめな前半生は、みじめであるがゆえに、同様にみじめな前半生を送った僕たちに共感を呼び起こす。

一方、彼の超人的な後半生を見ると、すごいなぁとため息が漏れると同時に、せっかく身近に感じられた人が、なんだかまた遠くに行ってしまった感じがして、いささか寂しい気持ちにもなる。

 

1935年生まれの佐々井さんは、今年の誕生日で82歳となる。まだまだ、長生きしてほしい。

 

破天 (光文社新書)

破天 (光文社新書)

 

 

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書評『朝日新聞と私の40年戦争』

今年、巷間を大いに騒がせた、いわゆる「加計学園問題」。

実のところ、朝日新聞をはじめとする左派メディアによる悪質なフェイクニュースと言うほかないのが実相である。

だが朝日新聞によるフェイクニュース濫造は、なにも今日に始まったものではなかった。

 

本著『朝日新聞と私の40年戦争』(PHP研究所)は、タイトルの通り、著者と朝日新聞との長きにわたる闘いを描いた著作である。

著者は、評論家の渡部昇一さん(1930-2017)

渡部さんは、『諸君!』『正論』など保守系の論壇誌に多く寄稿していたため、彼について「右翼」というイメージを持っている方も多いかもしれない。

だが渡部さんは、もともとは英文学者であり、経済学者フリードリヒ・ハイエクを信奉する自由主義者でもあったのだ。

ところが、朝日新聞によってあたかもヒトラーの礼賛者であるかのような印象操作を受け、そこから朝日との長い闘いへと突入したのである。

 

本著では、朝日新聞がこれまで引き起こしてきたフェイクニュースとして、田中角栄裁判、中国「侵略」を「進出」に書き換えたとする教科書誤報問題、いわゆる「従軍慰安婦」報道、などが挙げられ、渡部さんはかなり多くのページを割いて、朝日新聞を批判している。

その「従軍慰安婦」報道について、朝日新聞は2014年9月11日、ついに謝罪会見を行った。

このときは、いわゆる「吉田調書」に関する誤報事件も重なっており、朝日は窮地に立たされていたのである。

当時の木村伊量社長が謝罪したが、これについて渡部さんは≪相変わらずの「大スジ論」による論点のすり替えです。虚報で日本と日本人の名誉を毀損した責任にはいっさい触れていません。

「読者のみなさま」におわびはしても、日本国民に謝罪する気はさらさらない、ということでしょう。≫(205頁)と、長年の宿敵に対して実に手厳しい。

 

もっとも、渡部さんは同時に、こうも書いている。

朝日新聞社長の呆れた“謝罪”会見以降、巷では「朝日廃刊論」や「朝日解体論」が飛び交っています。私もそれに反対はしませんが、その前にやってもらいたいことがあります。やはり、責任を果たしていただきたい。朝日には傷つけられた日本の名誉を回復させる責任があります。≫(206頁)

 

この文章は、書評である。

本来、書評というのは、本を褒めて著者を褒めて、人に「あぁ、この本を読みたい!」と思わせるための文章だと、僕は思っている。

したがって、書評のなかで著者を批判することは、原則としてしないことにしている。

だけれども、今回、僕はあえて渡部さんに、こう苦言を呈すことにしたい。

渡部先生、朝日新聞が、アノ朝日新聞がですよ、「ハイすいませんでした」と反省して責任を果たすと、先生は本当にお考えですか?

たとえ筋論として、朝日が日本の名誉を回復させるために責任を果たすのが筋なのだとしても、 現 実 問 題 と し て 彼らは絶対に責任を果たさないでしょう。

厳しい言い方かもしれませんが、朝日新聞はただただ廃刊あるのみ、と僕は考えます。

 

朝日新聞と私の40年戦争

朝日新聞と私の40年戦争

 

 

書評『北一輝の革命』

「戦前右翼の大物」といえば、頭山満(1855‐1944)、そして北一輝(1883‐1937)である。

戦前右翼について勉強したいなら、まずは北から始めるとよい。それほどの大物である。

では、まずはどの本から手に取ればよいのだろう。

 

初学者には、本著を薦めたい。

北一輝の革命 天皇の国家と対決し「日本改造」を謀った男』現代書館だ。

著者は、評論家の松本健一さん(1946‐2014)。戦前右翼に関する著作を多く出していることで知られる。

本著は、現代書館の『FOR BEGINNERS』シリーズの一環であり、その名の通り初学者向け(for beginners)に要領よくまとめられていて、感心させられる。

 

本著は、北一輝の生涯のアウトラインを描いていく。

すなわち、佐渡に生まれ、青年時代に大著『国体論および純正社会主義』を著し、その後中国にわたって革命勢力と行動を共にし、大川周明(1886‐1957)の勧めで日本に戻って『日本改造法案大綱』を著し、晩年は皇道派青年将校らと交流を持ち、2.26事件の思想的指導者となって、ついには処刑される、というものである。

僕は北一輝についてはいくらかの知識を持ってはいたが、本著を読んで新しく知った箇所がいくつかあり、勉強になった。

 

例えば、北の生まれ故郷・佐渡について。

こう言っては佐渡の人たちには申し訳ないが、「佐渡=流刑地」というイメージがどうしてもあるため、僻地という印象がぬぐえなかった。だが実際は必ずしもそうではなかったらしい。

昔から船便を通じて、佐渡は上方(関西)と交流があったのだ。

また、金山があったため、江戸から役人が多く派遣されており、彼らの子弟のための教育機関も充実していたのだという。

日本海に浮かぶ小さな島のわりには、文化の香りの漂う土地だったのだ。そしてそこで、北少年は育ったのである。

 

もうひとつ面白かったのが、日記。

北一輝には霊感があった。彼は数々の心霊現象を体験しており、それをまとめた『霊告日記』なる日記も残されている。たとえば「○月×日。今日は△△さんの霊と話をした」とかいった具合に。

もちろん霊感のある北のこと、実際に霊と喋ったこともあるのだろうが、そうでないこともあったようだ。

つまり、政治的理由により表に出せない会談を、「霊との対談」ーというとナントカの科学みたいだなーという形でカモフラージュして『霊告日記』に残していたのである。

本著では、2・26事件直前、北が青年将校とのやり取りを霊との交信という形で日記に書き残していたことが、例として挙げられている。

なるほど! と目からうろこが落ちた。

 

本著は分かりやすいが、それでもあくまで「FOR BEGINNERS」(初心者向け)に過ぎない。

本著を読んで北一輝に更なる興味を持った方は、松本健一さんによる大著『評伝 北一輝岩波書店を読むと良いだろう。

 

北一輝の革命―天皇の国家と対決し「日本改造」を謀った男 (FOR BEGINNERSシリーズ)

北一輝の革命―天皇の国家と対決し「日本改造」を謀った男 (FOR BEGINNERSシリーズ)

 

 

書評『歎異抄』

浄土真宗の祖・親鸞の教えを今日まで伝えてくれている書物のひとつに、『歎異抄』がある。

正確に言えば、親鸞ご本人ではなく、彼の弟子であった唯円というお坊さんが、お師匠の教えを後世に伝えるべく著した書物である。

※たとえば、プラトンが師匠のソクラテスの教えを伝えるべく本を書いたのと同じようなもの

 

本日ご紹介するのは、PHP研究所から刊行された『歎異抄』現代語訳だ。

訳者は、評論家の小浜逸郎さん。

現代語訳だけでなく、小浜さんによる解説文が充実しているのが、このPHP版『歎異抄』の魅力である。

 

本著を通読してあらためて思ったのは、浄土真宗はやはりキリスト教と似ている、ということだ。

本著のなかで、著者親鸞唯円は繰り返し、人間は「他力」によって生“かされている”と説き、「自力」によって生“きている”との考えを否定する。

まさに本来の意味での「他力本願」。キリスト教世界における、自由意志をめぐる論争にも通じる話である。

あるいは『歎異抄』第18節にある、「仏には具体的な形などない」という主張もまた、すぐれて一神教的であると感じる。

一神教は本来、偶像崇拝を禁じる宗教であり、イスラーム教は今日でもそれをかたくなに守っているからだ。

 

浄土真宗は、このようにとても興味深い宗教であるが、果たしてこれでも本当に仏教と呼べるのか、という疑問は当然ながら残る。

「自力」より「他力」を重んじる浄土真宗は、キリスト教の予定説の発想にかなり近接している。だが、仏教は本来、因果律を徹底させた宗教ではなかったのか。予定説の対極にあるはずの宗教ではなかったのか。

 

親鸞はもしかしたら、仏教者というよりかはむしろ、日本に初めて「一神教」をもたらした人物として評価されるべきなのかもしれない。

 

本著巻末では、評論家・吉本隆明(1924‐2012)による『歎異抄』解釈が俎上に載せられ、その誤訳、強引なこじつけが解説者の小浜さんによって仮借なく批判されている。

小浜さんはいわゆる「団塊の世代」であり、かつて吉本からの知的影響を大いに受けた世代である。

そうした点も考慮に入れながら小浜さんの吉本批判を読むと、たいへんに興味深い。

 

[新訳]歎異抄   「絶対他力」の思想を読み解く

[新訳]歎異抄 「絶対他力」の思想を読み解く

 

 

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