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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『死の家の記録』

19世紀ロシアを代表する文豪・ドストエフスキーは、若い頃に流刑を経験したことで有名である。

青年期の彼は、空想的社会主義のサークルに加入しており、それが原因で官憲によって逮捕されてしまったのだ。

彼は死刑判決(!)を受けたものの、執行直前になって恩赦を受け、シベリア流刑へと減刑されたのであった。

死刑執行直前での恩赦とは、まるで映画のように出来すぎた話であるが、もちろんこれは当局の「筋書き」通りの展開である。死刑の直前になって恩赦を出せば囚人どもは泣いて皇帝に感謝するだろう、というわけだ。

 

今日ご紹介する小説『死の家の記録Записки из Мёртвого домаは、ドストエフスキーが自らのシベリア流刑の経験をもとに書いた作品である。

タイトルにある「死の家」Мёртвого домаとはもちろん、監獄のこと。彼は、そこで生活する囚人たちひとりひとりに焦点を当てながら、本作を書いている。

おびただしい数の囚人が登場するが、読者がそのすべてを頭に入れることはとてもじゃないが無理だろう。

 

ドストエフスキー文学の真骨頂は「ウ○コ凝視力」にこそあり、と指摘したのは僕の友人であるがーお食事中の皆さん、すいません…ー本作を読むと、まさしく然り、と首肯するほかない。

監獄という、一般社会から隔絶された、極めて特異な空間における人間のふるまいを、主人公ーこれはもちろん作者ドストエフスキーの分身であるーは細部まで冷静に観察している。

ムチ打ちの刑におびえる臆病な人間もいれば、何を考えているかもわからない、無表情・無感情の人間もいる。なかには「なんで監獄なんかにいんの!?」と不思議に思うくらい、清々しい好青年もいる(『カラマーゾフの兄弟』の登場人物・アリョーシャのモデルだろう)

ロシアが他民族国家だという、考えてみれば当たり前の事実も、再確認させられた。ロシアの監獄だというのにロシア語がよく分からない、という囚人が少なからず登場するからだ。

 

暗くすさんだ監獄のなかにあっても、動物は、人間たちを和ませる存在であるようだ。

「ようだ」というのは、僕自身は動物がニガテなので、その魅力がいまいちよく分からないからである。

終盤、囚人たちが犬や山羊などを飼うという、ほほえましい場面がある。

その箇所だけは、監獄特有の暗鬱とした空気が取り払われ、全体的な雰囲気がパァ!と明るくなるのだ。とても清々しく、解放感がある。

 

死の家の記録』が著された目的は、やはり監獄における囚人たちの非人道的な生活を記録し、かつ告発することだろう。

だが僕は、現在並行して読み進めている、ある大著のことがどうしても気になってしまう。

 

ソルジェニーツィン『収容所群島』(Архипелаг ГУЛАГ)である。

 

いずれ読了したら、例によってこのブログにてレビューを書くつもりでいるが、現時点での感想を述べると…

「凄惨」、の一言に尽きる。

この本のなかで詳細に描写されているラーゲリ旧ソ連の収容所)は、「これは一体どこのナチスの収容所ですか」と疑いたくなるようなものばかりだ。

『収容所群島』を読んでしまうと、ドストエフスキーの時代の「死の家」がいかに“ヌルかった”かが分かる。

例えば「死の家」では、クリスマスやイースターは祭日とされ、労働は休みだった。ラーゲリではもちろんそんなことはなかった。

「死の家」では、囚人は酒を飲むこともできた。ラーゲリではもちろんありえないことだ。

「死の家」では、囚人は懲罰としてムチで打たれた。ラーゲリでは囚人たちがムチで打たれることはなかった。かわりに銃殺された。

 

死の家の記録』終盤にて、何人かの囚人たちが脱獄を試みるも、あえなく失敗、捕まってしまう。「あぁ、さすがにこれは銃殺かな…」と思いながらページをめくると、結局ムチ打ちで済んでしまう。なんと“温情あふれる”監獄だったのだろう!

哀しいことに、帝政ロシアからソ連へとかわったことで、恐怖支配はより一層強まってしまったのである。

 

死の家の記録 (光文社古典新訳文庫)

死の家の記録 (光文社古典新訳文庫)

 

 

書評『棋を楽しみて老いるを知らず』

将棋棋士には、名文家が多い。

あれだけ地頭の良い人たちなのだから、当然といえば当然なのかもしれないが、美しい棋譜のみならず美しい文章をも残した棋士は、数多い。

将棋棋士のなかで最も文章が達者なことで知られたのは、やはりなんといっても河口俊彦八段(1936‐2015)だろう。

その格調高い文体には定評があり、将棋ファンの間では「老師」と呼ばれて敬愛されてきた。

現役の棋士のなかでは、先崎学九段が、やはり名文家として有名である。

だが、この人だって負けちゃいない。

二上達也九段(1932-2016)

日本将棋連盟元会長にして、あの羽生さんの師匠でもある。

今日ご紹介するのは、その二上九段のエッセイ『棋を楽しみて老いるを知らず』東京新聞出版局)だ。

 

二上九段は、北海道函館市出身。

北海道は、どういうわけだか、昔から将棋棋士を多く輩出してきた土地である。現役棋士のなかでは、屋敷伸之九段、野月浩貴八段などが北海道出身で知られる。

また、棋士ではないが、雑誌『将棋世界』の元編集長であり、『聖の青春』の原作者としても知られる、作家の大崎善生さんもまた、北海道出身者である。

さて、将棋に天才的才能を示した二上少年は、上京して将棋棋士となった。それから先は、勝負師としての戦いの毎日である。

二上九段はその棋士人生において多くの年長棋士と対局したが、とりわけ対局の機会が多かったのが、大山康晴十五世名人(1923‐1992)だ。

大山名人は、まさに文字通り“大きな山”として、二上九段の前に立ちはだかった。

二上九段はタイトル戦で何度も大山名人に挑戦するが、そのたびに退けられてしまう。なんとかしてタイトルを獲得しても、その次の年に挑戦者としてやってくるのは、やはり大山名人なのである。

大山名人は、長きにわたって、若手棋士たちの前に壁として立ちはだかった。

現在、そんな大山名人のポジションに最も近いのが、あの羽生さんである。

二上九段の弟子である羽生さんが、二上九段の宿敵・大山名人のポジションにいるというのも、なにやら因縁めいた話で面白い。

 

そろそろ、将棋界における師弟関係について簡単に解説したほうがいいだろう。

誤解されやすいが、師匠が弟子に将棋を教えるわけではない。本著でも、二上九段は羽生さんと3回しか対局したことがないと書いている。

若手ほど研究熱心なため、むしろ最近では、最新戦法に関して言えば弟子のほうが師匠よりも詳しい、ということが多いらしい。

それでは、師匠はいったい何のためにいるのか。何を教えるのか。

師匠は、新入り棋士身元保証人であり、礼儀作法を教える存在である。

この二上師匠のもとから、あの羽生さんが巣立ち、ついには前人未踏の七冠王に輝いたのである。

 

二上九段は、1989年から2003年までの実に14年間にわたり、日本将棋連盟会長を務めた。大山名人も長く会長職にあったが、二上九段のほうが在任期間が2年長い。よってこの“タイトル戦”は、二上九段の勝ちとなった。

≪あちら(註:大山名人)お亡くなりになったので、もう追い抜かれることはない。つまらない意地を張るようだが、最後にようやく勝てた。≫(236頁)

 

二上九段は、コンピューター将棋についても、以下の言葉を残している。

≪私は、コンピューターは人間を幸せにするために発明された道具だと思う。道具が人間より強くなったとして、人間は幸せになるのだろうか。人間より強いソフトができて、将棋がより面白くなるのだろうか。そこがどうもよく分からない≫(211頁)

奇しくも、今年(2017年)をもって電王戦が終了することが発表された。「歴史的な役割を終えた」のがその理由だという。

昨年から今年にかけて、将棋ソフトの不正使用疑惑に端を発する「三浦九段冤罪事件」で将棋界は揺れに揺れている。

そんななかで、二上九段の上の言葉はますます重みをもって、読者の前に迫ってくる。

 

それにしても、二上九段の文章の美しいことといったら!

美しい映画を見ていると、「あぁ、こんなきれいな映像をずっと見ていられたらなぁ」との思いにとらわれる。

同じように、本著を読んでいて「あぁ、こんな格調高い文章をずっと読んでいられたらなぁ」と何度思ったことだろう。

 

やっぱり、将棋棋士には、名文家が多い。

 

棋を楽しみて老いるを知らず

棋を楽しみて老いるを知らず

 

 

書評『この世で一番おもしろいマクロ経済学』

先日は、子供向けの絵本でありながら優れた経済学の入門書でもある『レモンをお金にかえる法』およびその続編『続・レモンをお金にかえる法』をご紹介した。

でも、「…いくらなんでも、大の大人が絵本だなんて、やっぱり恥ずかしいよ…」というシャイな方も当然いらっしゃることだろう。

うんうん、そんな恥ずかしがり屋さんの、そこのア・ナ・タ! 

これからご紹介する、ヨラム・バウマン著『この世で一番おもしろいマクロ経済学ダイヤモンド社から経済学の勉強を始めてみてはいかが?

 

本著の英語での原題は"The Cartoon Introduction to Economics"である。

Cartoon(欧米の漫画)とあることから分かるように、本著の売りは、マクロ経済学を漫画で解説してくれるところにある。

翻訳したのは、山形浩生さん。

山形さんは、≪大手調査会社に勤務するかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動を行う≫(訳者紹介より)という、なんともスーパーマンのような方である(;^ω^)

ひと昔前にずいぶんと話題になった、トマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房も、この山形さんが主に翻訳を手掛けたのである(っていうか、ピケティって、皆さんまだ覚えてます?w)

 

本著は、マクロ経済学の解説書である。

経済学は、周知のように、古典派経済学とケインズ経済学のふたつに大別される。え、マル経? バカじゃねーの

本著は、多くの論点において両論併記の形式をとっており、著者が中立性に結構気を使っていることが分かる。

もっとも、漫画という性格上、ときには結構ブラックなジョークもちりばめられており、本著に適度なスパイスを与えてくれている。

≪もちろん、子どもの行動すべてが親の責任じゃない。

「わしは電卓も使えないのに……」「うちの子は数学の天才だ!」

「リズム感なしのオレの娘は……」「すごいダンサーだぜ。」

「あたしは虫も殺さないのに……」「うちの子は死刑囚よ!」≫(75頁)

 

さて、著者がおそらく本著のなかで最も訴えたかったこと、それは貿易はゼロサムゲームではないということだ。

ゼロサムゲームとは、富が有限であるなかで、その富を奪いあい、結果、誰かが得をすればそのぶん誰かが損をする、という状態を指す。

プラス(得)とマイナス(損)の総和(サム)がゼロになることから、ゼロサムゲームと呼ぶわけだ。

ゼロサムゲームは、現在でも人々の思考を支配していることが多い。

たとえばトランプ大統領の貿易に関する発言を見ていくと、彼がどうやらゼロサムゲームの発想で世界を捉えているらしいことが分かってくるのである。

ところが本著は、貿易は“短期的には”確かに勝ち組も負け組も生みだすものの、長期的に見れば人類全体を幸せにする―本著の表現を借りるなら「万人にとってかなりすごい」ーというのだ。

 

貿易は、技術革新に似ているという。

技術革新によって、短期的に見れば確かに失業者は発生した。だが誰も、産業革命の始まった18~19世紀のままで良かったなどとは言わないはずだ19世紀のままでは、こうやってブログを公開することすらできない!)

技術革新がなんだかんだで人々を幸せにしたように、貿易もまた、なんだかんだで人々を幸せにするのである。これが、貿易はゼロサムゲームではない、という言葉の意味だ。

 

「TPPがわが国の農業を破壊する!」といった主張から分かるように、わが国の保守派には、貿易はゼロサムゲームだと考える人が多い。

かくいう僕自身、以前はTPPのせいで日本の産業が破壊されちゃったらイヤだなぁ…と漠然とした不安を抱いていた。

だが、経済学を勉強していくうちに、「…アレ? TPPって、実はそれほど怖いもんでもないんじゃねーの…?」と、少しずつではあるが、考えを改めるようになった。

もちろん、むやみに自論を変えるのは褒められたことではないだろう。だが、勉強するにつれて意見が変わってくるというのは、実は意外とよくある話でもある。

 

経済学関連の本を読み漁っていくことで、今後もさらに意見が変化していくのかもしれない。

こういう風に、意見がまるで生き物のようにどんどん変化していくというのも、また読書の醍醐味のひとつなのかもしれない。

…もっとも、あんまり変わりすぎるのも問題だろうけど(;^ω^)

 

この世で一番おもしろいマクロ経済学――みんながもっと豊かになれるかもしれない16講

この世で一番おもしろいマクロ経済学――みんながもっと豊かになれるかもしれない16講

 

 

書評『レモンをお金にかえる法』&『続・レモンをお金にかえる法』

子供向けの絵本は、ときに大人向けの一般の書物以上に、読者に効用を与えることがある。

平易な言葉で書かれており、それでいて物事の本質をよく捉えているので、我々大人が読んでも、面白く、ためになるのだ。

断じて、子供向けの絵本だからなどという理由で、バカにしてはならない。

 

本日取り上げるのは、子供向けに書かれた経済学の入門書『レモンをお金にかえる法』、およびその続編である『続・レモンをお金にかえる法』(ともに河出書房新社だ。

 

『レモンをお金にかえる法』は、主人公の女の子が、レモンを加工してレモネードにして売るという商売を始め、きちんと利益を上げるところまでを描いた絵本である。

レモネードというのは、我々日本人にはあまり馴染みがないが、米国では非常にポピュラーな飲み物であり、日本人にとっての麦茶のような、ごく身近な存在である(のだと思う)

本作は、そんな身近な飲み物で女の子が商売を営むというお話なのだが、「資本貸付け」「資産の流動化」といった経済学の用語が唐突にポンと出てくるのには、いささか驚いた。

もちろん本文でちゃんと説明がなされているので、頭のいい子供ならばこれらの言葉の意味をきちんと理解することができるだろう。

こうして子供たちはこの絵本を通じて、すんなりと経済学の世界へと入門することができるのである。

 

新装版 レモンをお金にかえる法

新装版 レモンをお金にかえる法

 

 

では引き続いて、『続・レモンをお金にかえる法』に移るとしよう。

 

多くの子供たちが、自分なりの商売を営んでいる。その「経済圏」の中核にいるのは、前作の主人公の女の子が経営するレモネードの屋台だ。

ところがある年、不作によりレモンの値が急騰してしまった。こうなっては、レモネードの値段も上げざるを得ない。

子供たちにとっての必需品であるレモネードが値上がりするとなると、子供たちの経済圏における賃金や物価もまた、必然的に上昇していく。

かくして子供たちの経済圏は、たちまちインフレに陥ってしまった。経済危機の到来である。

 

この未曾有の危機から救ってくれたのは、子供たちの親と思しき「おとなたち」であった。

この「おとなたち」、当然子供よりかは経済のことをよく知っているので、子供たちに経済危機を解決する方策をいろいろと教えてくれる。

彼らの助言ー失業保険、新規の雇用創出、中小企業救済のための貸付、等ーは見事功を奏し、子供たちの経済圏は危機から脱することができたのであった。めでたしめでたし。

 

…いうまでもなく、これはケインズ経済学のアウトラインだ。

経済に明るく、子供たちに助言をくれる「おとなたち」は、明らかに経済学者のメタファーだろう。

当然ながら、絵本のなかには「ケインズ」の「ケ」の字も出てこない。それでも子供たちは、この絵本を通じてケインズ経済学の要諦を理解することができるのである。

 

このように見てみると、『レモンをお金にかえる法』はミクロ経済学、『続・レモンをお金にかえる法』はマクロ経済学の入門書であったことも分かってくる。

まだ幼いうちからこういう良質の入門書を読める子供たちは、幸せ者だ。

 

新装版 続・レモンをお金にかえる法

新装版 続・レモンをお金にかえる法

 

 

書評『最新 惑星入門』

自然科学はどれも日進月歩で進歩しているものばかりだが、そのなかでもとりわけ長足の進歩を見せているのが、天文学だ。

つい先日も、地球と似たような環境にあると考えられる太陽系外惑星が一挙に7つも発見されるというニュースが報じられたばかりだ。まだみなさんのご記憶にも新しいことだろう。

 

今日ご紹介するのは、われらが太陽系に関する最新の知見を盛り込んだ、タイトルもずばり『最新 惑星入門』朝日新聞出版)だ。

著者のひとりは、天文学者にして国立天文台副台長というエラ~イ人でもある、渡部潤一さん。

メディア上での露出も多く、これまで天文学の一般社会への普及に尽力してきた人物である。

また、冥王星の地位に関する議論のため設置された「惑星定義委員会」(←何なんだろう、このめっちゃ中二病精神をそそられるネーミング)に、アジアから唯一メンバーに選ばれたという、めちゃくちゃスゴイ人でもある。

渡部さんはこれまで多くの著作を上梓してきたが、さすがに多忙のためか、この本は単著ではなく、サイエンスライターにして奥様(!)でもある、渡部好恵さんとの共著となっている。

 

惑星科学の入門書の多くがそうであるように、本著もまた惑星に関する解説から始まる。

だが乱暴に言ってしまえば、惑星の解説なんてのは、だいたいどの本でも決まった内容なのである。たとえばこんなふうに↓

「太陽系には、8つの惑星があります。水星、金星は灼熱の惑星であり、地球は唯一水を湛えた奇跡の惑星、そして火星は、今でこそ乾燥していますが、かつては水が存在していたことが分かっています。

 火星より外側には、木星をはじめとする大型のガス惑星があり、木星の周りには4つの衛星が回っていて、土星にはご存じのとおり美しいリングがあり…」

…とまぁだいたいこんな感じで解説がなされるのが常である。

天王星海王星に関しても、まぁ一応解説はされるのだが、これらは他の惑星と比べてまだあまり研究が進んでいないため、リングや衛星についてざっと説明して、ハイおしまい、というパターンが多い。

本著もまた、ご多分に漏れずこんな感じなので、天文学に関してすでにある程度知識のある方は、本著の惑星に関する箇所は読み飛ばしてしまっても差し支えないかと思うw(;^ω^)

 

意外に思われるかもしれないが、本著が本当に面白いのは、むしろ惑星ではない天体についての説明である。

具体的に言えば、太陽系小天体および太陽系外縁天体に関する説明がとても充実しており、それが本著の一番の魅力となっているのだ。

 

太陽系小天体(SSSB;Small Solar System Body)というのはなにやら聞き慣れない言葉だが、2006年に冥王星が「格下げ」された際についでに新設された、天体の新しいカテゴリーである。

太陽の周りをまわっていて、球形になれるほどには大きくない天体がこれに分類されており、たとえば小惑星や彗星、それに惑星間塵などがこれに該当する。

とくに惑星間塵というのは、正直、僕もあまりよく分からない分野だったので、今回この本を読んで、とても勉強になった。

 

もうひとつ、太陽系外縁天体(TNO;trans-Neptunian Object)について。

これは、海王星(Neptune)のさらに向こう側(trans)に存在する天体のことで、惑星から除外されてしまった哀れなる冥王星くんも、今日ではこれに分類されている。

冥王星はこれまでずっと謎の多い天体であったが、2015年に探査機「ニューホライズンズ」がフライバイ(接近探査)したことで、ようやくその詳細が明らかになった。

冥王星に関する最新の知見を盛り込んでいるのが、2016年に刊行された本著の最大のセールスポイントとなっている。

たとえば冥王星に関する以下の記述は、我々読者をドキドキさせるのに十分であろう。

≪探査機の画像からは、はるか昔、大気が多くて、温度が高かった頃にできたと考えられる、液体窒素の湖跡も発見されています。

(中略)

冥王星の山々の正体は、巨大な氷(水)の塊であり、窒素が凍った氷の「海」に浮いている状況のように思われます。窒素や一酸化炭素の氷の海に比べて、水の氷は密度が低いので、その「海」から頭を出して浮かんでいるらしいのです≫(243頁)

本著ではさらに、現在捜索が進められている仮説上の太陽系第9惑星プラネット・ナイン」についても、少しではあるが、解説されている。本著の著者たちも、プラネット・ナインの存在可能性に期待しているようだ。

 

冒頭でも書いた通り、天文学は日進月歩で進歩している。みなさんがまだ子供だったころとは全く異なる太陽系像が、現在、天文学者によって描き出されているのだ。

みなさんもぜひ本著を読んで、頭のなかの太陽系像をアップデートしてほしい。

 

最新 惑星入門 (朝日新書)

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最近見た映画の感想(第143回)

・『ハード・ターゲット』

香港出身のジョン・ウー監督にとって、記念すべきハリウッドデビュー作となった映画。アクションが得意の彼らしく、全編にわたってアクションシーン盛りだくさんの作品となった。

米南部・ニューオーリンズ。ホームレス男性がナゾの殺し屋集団によって惨殺されるという事件が発生する。

そんな物騒な街へ、行方不明となった父を探すべく、ヒロインがやってくる。街中でチンピラに絡まれるも、ジャン=クロード・ヴァン・ダム演じる主人公によって助けられる。彼女はこの男をボディーガードとして雇うことに。しかしこれによって、ふたりはナゾの殺し屋集団の事件に巻き込まれることになる…。

本作の悪役である殺し屋集団は、なんと娯楽目的で人間を狩るという、なんとも猟奇的な集団であった。この集団との間で絶えず繰り広げられるアクションシーンが、本作の一番の見どころとなっている。

上映時間100分とやや短いながらも、アクションにつぐアクションの連続で、実に濃密な映画であった。

 

 

・『バーディ』

ベトナム戦争に従軍し、それぞれ顔と精神に深い傷を負った、ふたりの青年。

本作は、そんな彼らの現在のシーンと回想シーンとを並行して描いていく。

ふたりのうち、精神を病んだほうの青年には、もともと浮世離れしたところがあった。

まだ10代、最も性欲が盛んな時期においてさえ、友人らと女のオッパイの話になっても「オッパイなんてどうせ乳腺のあつまりだろ。牛の乳房と何が違うんだ」とまるで相手にしない。

そんな彼が唯一心を開く相手が、鳥だ。彼は鳥に憧れ、鳥のように大空を飛びたいと願ってきた。

つかの間ではあるが、その夢が実現する場面がある。彼は夢のなかで、鳥になるのだ。ここでカメラは、実際に鳥のように空を自由に動きながら風景を撮影している。本作において、もっとも印象に残るシークエンスだ。

そんな彼も、ベトナムの凄惨な戦場のただなかに置かれたことで、精神を病んでしまう。

ラスト。見舞いに来てくれた友人の懸命の呼びかけによってようやく正気を取り戻し(かけ)た彼は、友人とともに屋上へ。だが彼はそこから鳥のように飛び降りようとする。必死に止めようとする友人。はたして彼の運命は…!?

…待ち受けていたのは、なんとも意外すぎる結末であった(^▽^;)

僕自身、浮世離れしたところが結構あるので、本作の主人公格である青年には共感できる部分がとても多かった。

 

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・『ハートブルー

キアヌ・リーブス演じる若き捜査官が、おとり捜査のため、サーファー強盗団に潜入する。

この強盗団、もちろん強盗もやるんだけど、休みの日にはのんきに海でサーフィンを楽しむという、なんともアメリカ西海岸的な強盗団である。

そんな彼らのなかに潜入調査しているうちに、しだいに彼らに情が移ってしまい…というのはもはや、このテの作品の定番パターンですな。

本作の特徴は、ただの犯罪映画ではなく、サーフィンやスカイダイビングなど、海や空のスポーツのシーンを多数盛り込んでいること。なんともサービス精神旺盛な映画である。

こういう「お得感」は、香港映画と似ているかもしれない。

ラスト。なんとかして強盗団の首領を捕まえたキアヌだったが、彼が最後にとった行動は…実に男のロマンにあふれる結末だ。

 

ハートブルー [DVD]

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・『肉の蝋人形』

1921年のロンドン。著名な歴史上の人物たちをモデルとする蝋人形を集めた、蝋人形館があった。が、トラブルに遭い、せっかくの蝋人形はすべて焼失してしまう。

それから12年の歳月が流れ、1933年、ニューヨーク。かつての蝋人形館の主が、この地に蝋人形館を再建した。これと前後して、ニューヨークでは市民の行方不明事件が続発する。

ことの真相は…なななんと、館の主が蝋人形と容姿が似ている人物を拉致・殺害し、その死体に蝋を塗って蝋人形にしていたのだ!

この驚くべき真相を突き止めた女性記者のまえに、館の主の魔の手が迫る!

…という内容のホラー映画。本作の一番の特徴は、1933年制作の作品ながら、すでにカラー映画であるという点である。

といってもまだ本格的な三色式ではなく、より単純な二色式テクニカラーの手法を用いたものである。それゆえ、本作から6年後に制作された『風と共に去りぬ』と比べると、色彩の鮮やかさという点ではとても及ばない。

それでも、この時代にすでにこれだけのカラー映画を作れたということが、21世紀に住む僕たちにとっては驚きである。

余談ながら。本作には1953年につくられたリメイク版がある。「最新の技術で撮る!」という旧作の精神を受け継いだのか、こちらは3D(!)で撮影されている。

 

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 ・『サムソンとデリラ

旧約聖書士師記』にある、サムソンとデリラの逸話を映像化した作品。

監督は、サーカス映画『地上最大のショウ』で有名な、セシル・B・デミルだ。

デミル監督は、動物を用いたアクションシーンがお好みだったようだ。サーカス映画である『地上最大のショウ』はもちろんのこと、本作においても、怪力の持ち主である主人公サムソンが百獣の王ライオンと一対一で対決し、見事勝利をおさめるというシーンがある。

だが本作一番のスペクタクルは、やはりなんといってもラストだろう。

異教徒たちの神殿に連れ出された主人公が、イスラエルの神から授かった怪力によって、神殿を丸ごと破壊してしまう。

単に映像として迫力があるだけでなく、偶像崇拝を許さないという一神教のメッセージが強く伝わってくるという点でも、実に興味深いシークエンスだった。

ヒロイン・デリラの悪女っぷりもまた(男性の観客にとっては)見ものだろう。

 

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書評『軍事大国ロシア』

先日このブログで著書を取り上げたネクタイを結べない浅羽祐樹教授と並んで、twitterユーザーの間で強く支持されているのが、ロシアを専門とする軍事アナリスト・小泉悠(こいずみ・ゆう)さんだ。

彼はtwitter上にて、本名をもじった「ユーリ・イズムィコ」なるロシア名を名乗っており、ファンの間では「イズムィコ先生」の愛称で親しまれている。

旧ソ連に関するやたらマニアックな文化的・軍事的知識が、彼の人気の源泉だ。

 

そのイズムィコ先生の手による、なかなかの大著が、今日ご紹介する『軍事大国ロシア』作品社だ。

450ページ以上ある分厚い本著だが、そのわりには意外と軽く、最初手に取ってみたときには「…アレ?」と不思議に思ったほどだ。なにか新種の紙が使われているのだろうか。

 

タイトルに「軍事大国」とあることから分かるように、本著の主な目的は大国・ロシアを軍事的側面から分析することである。

戦後日本人の多くが苦手としているのが、軍事(学)だ。かく言う僕だって、軍事に関する知識は十分とはいいがたいので、偉そうなことは言えない。

最初、この本の厚さを見たときには「…あぁ、これ、挫折するかも…」と弱気になったが(;^ω^)、意外にも最後までスラスラ読むことができた。

前書きにて本著の構成が大まかに説明されているし、各々の章においてイズムィコ先生の論理展開がなめらかだからだろう。

 

本著は、2016年4月に刊行された。

その2年前の2014年には、ロシアがウクライナ領内のクリミア半島を併合するという“事件”が起こった。

これは国際法の禁止する「力による現状変更」にあたるとして、ロシアは欧米諸国から大変な非難を浴びた。

しかしロシアにとって、そうした反応はある程度は予測できたはずである。それでもなお、ロシアがクリミア併合を強行したのはどうしてだろう。

いや、クリミアに限った話ではない。ソ連時代をも含めて、ロシアが絶えず周辺諸国と摩擦を起こしてきたのは、どうしてだろう。

本著を読むと、その答えが分かる。

 

ロシアは、臆病だからである。

 

ロシアという国は有史以来、モンゴル人をはじめとして、ナポレオン、ナチス、と絶えず外敵の侵入に苦しめられてきた。

驚くべきことに、ロシア語には「安全」を意味する言葉がないのだという。近い言葉を挙げるなら「危険が存在しない」という意味の"безопасности"であるが、我々日本語話者に言わせれば、「安全」と「危険が存在しない」の間には、なんとも微妙な隔たりがある。

≪「危険が存在しない」かどうかは仮想敵との力の均衡によって決まる≫(35頁)。

ロシアは、NATOが拡大して自らの眼前にまで迫ってくるのが、怖くて怖くてたまらない。

ゆえにロシアは、自らの前に広大な緩衝地帯ーロシアはそれを「勢力圏」と呼んでいるようだーを設けたがるのである。

この「勢力圏」を求めるロシアの動きが、ときにクリミア併合という暴力的な形をとって現れる、というわけなのだ。

 

もっとも、ロシアは単に怖い隣人というだけでもない。

本著は、ロシアと中国の関係についても1節をさいて説明している(第3章4節)

近年では接近しているようにも見える両国だが、イズムィコ先生によれば、≪中ロはあくまでもアドホックなパートナー関係にあるのであって強固な軍事的同盟ではない≫(114頁)。両国の関係は、つねに緊張をはらんでいるようだ。

一方、ロシアと国境を接しないインドとは、比較的良好な関係のようである。

そこで「よし、それじゃあロシア、インド、日本で対中包囲網を構築しようぜ!」という発想が可能になってくる。

幕末明治の日本人のように単に「おそろしあ」と恐れているだけでは、生産的とはいいがたい。

見方を変えれば、日本にとってロシアはパートナーにもなり得る国なのだ。

 

軍事大国ロシア

軍事大国ロシア