Furusawa Keisuke's blog

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南北朝の戦いはリア充vsカースト下位の戦いだった!

今日は、日本の歴史を語る上で欠かすことのできない、南北朝時代のお話をしましょう。

 

南北朝時代―今でこそごく普通に「南北朝時代」と呼ばれていますが、戦前まではそうではありませんでした。

かつては、吉野に拠点を置いていた南朝こそが正統な王朝であるとして「吉野朝時代」という呼称が用いられていたのです。

その南朝において忠臣として活躍したのが、「大楠公」こと楠木正成です。

 

戦前の教科書には必ず名前が記され、日本人なら誰もが知る歴史的人物だった正成。彼は、南北朝時代の文献では「悪党」と記されています。

「え、歴史的人物なのに悪党?」と皆さん不思議に思われるかもしれませんね。しかし、当時の「悪党」という言葉は、今日とはだいぶ意味合いが違うのです。

当時の「悪党」とは、「命令・規則に従わない者」という意味。現代風の言い方をすれば「アウトロー」といったところでしょうか。正成は、当時の既存の社会秩序に抗う、とってもアウトローな人だったのですね。

 

正成だけではありあせん。南朝というのは、実はとってもアウトローな人たちの集まりだったのです。

そもそもリーダーである後醍醐天皇からして相当アウトローなお方です。彼は皇族ではありましたが、皇位継承の順位は決して高い方ではなかった。しかし中国風の皇帝専制にあこがれた彼は、武力で既存の社会秩序(鎌倉幕府)を転覆し、建武の親政―戦前は「建武中興」と呼びました―という、日本史上におけるエポックメイキングな出来事を成し遂げたのです。

 

それでは、北朝の方は一体どういう人たちの集まりだったのでしょう。

乱暴を承知で言えば、北朝は要するに「リア充」だったのですね。

北朝は、室町幕府の後ろ盾で成立していたわけですが、その室町幕府の開祖である足利尊氏は、武家の名門の生まれでした。

さきほど紹介した南朝が既存の社会秩序に抗うアウトローな人たちだったのに対し、北朝は既存の社会秩序のトップに君臨する、すんごく毛並みの良い人たちだったのです。

 

南北朝を今流行り(?)の「スクールカースト」になぞらえて説明するなら、北朝カーストの頂点、南朝カーストの底辺…とまではいかなくても、まぁ、下位ですよね。カースト頂点の北朝からは、普段バカにされる人たちだった。

要するに南北朝の戦いというのは一体何だったのかというと、あれはリア充vsカースト下位」の戦いだったのですっ!な、なんだってー(AA略

 

 

…コホン。すいません、つい熱くなってしまいました (^_^;)

このカースト下位としての南朝というのは、現代の右派が忘れている、極めて重要な視点だと私は思います。

皇居前広場に行くと、戦前に建てられた楠木正成の大きな銅像があります。しかし私はこの像を見るたびに、何とも言えない、寂しい気持ちにとらわれてしまうのです。

「悪党」の中のヒーロー、楠木正成から、本来の“いい意味での”まがまがしさがなくなっている。

それはちょうど、人気を博した深夜番組がゴールデンの時間帯へと移ることで、かえって深夜番組特有のあやしい魅力がなくなり、つまらなくなってしまうのと同じことのように、私には思えてならないのです。

つまり近代日本が南朝をむりやり「リア充(正統王朝としての吉野朝)化してしまったことで、本来の南朝の魅力が損われてしまったのではないか、と。

 

右派はもう一度、この「カースト下位としての南朝」を思い出すべきでしょう。

思えば、戦前の右翼は社会的弱者のことをよく見ていました。「我こそは社会的弱者を代弁するものなり」―そういう気概があったと思います。

今の右派は、残念ながらそうではなくなってしまった。単に中韓を攻撃するものだけが右、という安直な思考停止に陥ってしまった。

そんな中で、寺崎善哉さんの主催する「N.E.U.T.R.A.L」の活動などは、本来の右派のあり方を取り戻す試みだと、私は期待しています。