Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

「原爆が落ちた」

 「原爆が落ちた」という言い方を、日本人はよくする。

 

正しくは、「米国が原爆を落とした」と言うべきだろう。

 

どこが違うか。日本人は、文章の主語を「米国」から「原爆」に変え「落とした」という他動詞も「落ちた」という自動詞に変えてしまうのだ。あたかも「大雨が降った」「台風が上陸した」と自然現象を語るのと同じように。

 

―そう、我々日本人は、今から70年前の夏、「原爆投下」という、歴史的大事件を経験した。にもかかわらず―というべきか、「だからこそ」というべきか―我々はそれを「自然災害」として語ってしまうのだ。

 

もっとも、日本人というのは元々そういう民族だったのかもしれない。

 

日本人は「お湯が沸いた」「お風呂が沸いた」という言い方を、ごく普通にする。

だがそれも、本当のところは人が―もっと言えば、大抵の場合、性別役割分業に基づいて女性が―沸かしたものなのだ。温泉など特殊な場合を除いて、水が自発的に沸騰するなどということはありえない。

だがそのように人為的に沸かしたお湯に対してすら、我々は「沸いた」と自動詞で語ってしまう。

 

教養ある人なら、丸山真男の議論―「自然」と「作為」とか、「である」ことと「する」こと、とか―を思い出すことだろう。

丸山は今から半世紀以上前に活躍した政治学者だが、21世紀の今日においてもなお「原爆が落ちた」と普通に言ってしまうあたり、どうやら日本人は彼の時代からほとんど変わっていないようだ。

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