Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

他者って誰のことだろう―ある活動家の逸話

今日は、僕が以前かかわった、ある左翼活動家の話をします。

 

その活動家とは、ゼロ年代の終わりごろ、フリーチベットチベット独立支持)運動で知り合いました。

そこから、今度は三民族支援の運動に、ともにかかわるようになったのです。

ここで説明しておくと、「三民族支援」ってのは、中国の少数民族であるチベットウイグル内モンゴルの3民族の独立を支援する運動のことです。

ある日、その三民族支援の運動の一環で、小冊子をつくって配布することになりました。

小冊子は紙を折りたたんでつくるのですが、その際には紙の中心部にカッターで切れ目を入れる必要がありました。

 

さて配布当日、その活動家と待ち合わせると、彼は忙しかったようで―貧困のためアルバイトに追われる毎日のようでした―まだ小冊子を折れていなかった。

そのこと自体はべつに仕方ないと思うのですが、二人で喫茶店に入るなり彼は「カッターならあるから今からここで切れ目を入れる作業をやろう」と言いだしました。

 

僕はもちろん止めました。

当たり前でしょう。喫茶店でカッターで工作をやるなんて非常識極まりないからです。

百歩譲って「どうしても」というのであれば、きちんとテーブルの上に新聞紙を敷きつめてお店のテーブルにキズをつけないよう、最新の注意を払いつつ工作をするべきでしょう。それでも店員さんから注意されれば、おとなしく止めるべきでしょう。僕にかぎらず、常識人なら皆そう考えるはずです。

 

ところが。その活動家は、あろうことかこう言い放ったのです。

 

「え、お店のテーブルなんだから、べつにいいじゃないですか」

 

…もう、唖然としましたね。

お店のものだから傷つけてはいけないはずなのに、その活動家は「お店のものだから(=自分のものじゃないから)傷つけようがどうだっていいでしょ」と言うのです。

もちろん、僕が強く反対して彼に工作をあきらめさせたので、なんとか事なきを得ました。もし僕がいなかったら大変なことになっていただろうことは、想像に難くありません。

 

さて、その活動家、皮肉なことに普段から「人の痛みを自分の痛みとして引き受ける」というのを口癖にしていました。でも、上の逸話から分かるように、彼の言う「人」ってのは、彼の頭の中にしか存在しない、極めて抽象的な他者にすぎないんですよね。

そういう目に見えない他者のために、現実世界に生きる、目に見える他者のことは、平気で傷つける。

まぁ、今回の話で出てきたのはたまたま左翼活動家でしたけど、右左関係無く、活動家というのはそういう種族なのだと思います。

こうはなりたくないものですね。

 

ちなみに、その活動家とはそれから距離を置くようになり、今では付き合いは全くありません。聞くところによれば、彼はその後もいろいろな運動に首を突っ込んではトラブルばかり引き起こしたため、活動家業界からトラブルメーカーとして事実上パージされてしまったのだそうです。