Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

文章を書くということ

まぁ、文章を見る目のある方ならすぐ分かるかと思いますが、僕のこのブログというのは、絵画でたとえるなら、かなりラフなスケッチにすぎません。

それに対して、ミニコミ誌やWEB上のサイトなどに寄稿する際には、きちんと推敲して文章を書きます。

僕はわりとガサツな人間なのですが、公に出す文章には結構気を使っているんですよ、これでも。


文章を書く際には、固有名詞(とくに人名)の漢字を間違えていないか、慣用句の誤用はしていないか、漢字とひらがなのバランスは適切かどうか、まで考えます。漢字が多すぎると、どうしても読みづらい文章になってしまいますからね。

一つの文章の中では、表記を統一させる必要もでてきます。たとえば「敢えて」と一度でも漢字で表記したならば、以降はすべて「敢えて」で統一しなければなりません。「敢えて」と「あえて」を混在させるわけにはいかないからです。

人名の漢字にも非常に気を使います。どんなに素晴らしい内容の文章でも、人名を間違えていたら、その時点で0点です。したがって、文章を末尾まで書いたら、かならず最後に人名をネット検索して字の間違いがないかどうか確認することにしています。

 

冒頭でのたとえを用いるなら、こうした文章は、きちんと彩色した油絵のようなものですね。

じゃあ僕自身は何なのかといえば、おそらくはパリのモンマルトルあたりの安いアパルトマン(アパート)に住む、貧しい画家といったところでしょうか(笑)。

毎日毎晩「スケッチ」を残し、さらに日常の中で印象に残ったものを「油絵」にしていくわけです。

それは例えるならば、まぶしいほどの朝日を浴びるノートルダム大聖堂だとか、観光客でにぎわう真昼のパサージュだとか、紫色に染まる夕暮れ時のセーヌ川だとか、夜のパリに燦々と輝くエッフェル塔のようなもの。

そういう、「パリの日常風景」―すなわち日常生活における印象的なものごとを、今後も「油絵」にしていけたらいいなぁ、と、まぁそんなことを思っております。