Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

タランティーノ監督の魅力

「言語を大切にしよう」と先日このブログで書いた。

世界の言語がすべて英語になってしまったら、つまらないじゃないか。世界の人々が、もっと自らの母語に誇りを持ち、大切にするべきだ―という話だった。

 

英語圏の中心である米国にありながら、「言語を大切にする」というスタンスを貫いている稀有な存在が、クエンティン・タランティーノ監督だ。

ハリウッド映画では、たとえ舞台が英国以外の欧州諸国であっても、あるいは日本をはじめとするアジア諸国であっても、登場人物たちが皆どういうわけだか流暢に英語を話す、という作品が珍しくない。

明治日本を舞台とした映画『ラストサムライ』でも、よりにもよって攘夷派の武士の棟梁が英語を話すという不自然極まりない設定がみられた。

タランティーノ監督は、このような不自然な設定を絶対に採用しない。

彼の作品では、たとえば日本人は日本語を話し、広東人は広東語を話し、ドイツ人はドイツ語を話し、フランス人はフランス語を話す。

英語のセリフもないわけではないが、その場合には「どうしてそのセリフが英語である必要があるのか」がしっかりと説明できるようになっている(例えばドイツ軍将校が、ドイツ語を話せない米国人捕虜を尋問する場面など)。

あるいは、彼の作品『ジャンゴ 繋がれざる者』は19世紀の米国が舞台だが、劇中で一箇所だけドイツ語のセリフが出てくる。それも、「そのセリフがドイツ語でなければならない必然性」がちゃんと存在するのである。

 

「世界中の人間が英語を話せて当然」と考えているふしのあるハリウッドの中で、非英語の言語を尊重するタランティーノ監督の存在は際立っている。

タランティーノ監督については、その凄惨な暴力描写、過去の映画にたいする豊富なオマージュなどが話題に上ることが圧倒的に多い。だが僕にとってはそんなことはど~でもいいのだ(ぶっちゃけ!)。

僕にとって重要なのは、彼が言語を大切にしてくれるということ。

僕は、だからタランティーノ監督の大ファンである。