Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

保守は終わってないよ

日本は右傾化した、とよく言われます。

たしかに冷戦期―まだマルクス主義が健在だったころ―と比べたら、保守を名乗る人の数はぐっと増えたのかもしれません。

「量」は増えたはいいが、「質」のほうは、さてどうだろう。

 

残念ながら、質はむしろ下がったといわざるをえません。

最近はとりあえず中韓さえ叩いておけば保守という、わけのわからない風潮が広がっているのです。

それも中韓を理性的に批判するのならまだいいのですが、あろうことか「朝鮮人を○○○にブチ込め~!」といった、書くのもためらわれるようなヘイトスピーチを平気で連呼する人間がいて、そういう輩が行動する保守を自称しているのが、この世の中です。

 

これに関連してもう一つ残念なのは、そうした輩のせいで保守に対するイメージが悪化していることです。

僕の周囲にいる90年代生まれの若者たちからは「保守はもうオワコンという声すら聞かれるほどです。

 

保守は本当にオワコンなのでしょうか。

たしかに街頭でヘイトスピーチを連呼するような、いわゆる「行動する保守」はオワコンと言って間違いないでしょう。

しかし保守そのものがオワコンとなったわけでは、決してないと僕は思います。

 

本来、保守というのは、もっと豊饒なものだった。

福田恆存林房雄三島由紀夫江藤淳など、戦後日本はすぐれた保守の知識人を多く輩出してきました。

彼らはかならずしも中韓を叩いてばかりいたのではない。彼らにとって、中韓はさほど関心の対象とはならなかったでしょう。

彼らにとっての関心の対象は、「大東亜戦争」(太平洋戦争の保守側からの呼称)の歴史的位置付けであり、戦後日本(人)のあり方でした。

それは21世紀の現在でもアクチュアルな、極めて重要な問題意識だと僕は思います。

 

僕は、彼ら保守の思想家たちの著作を、もっと読みたい。

彼らの思想を現代に復活(復権)させたい

そうして、(今の)保守に絶望した若者たちに言ってあげたいんだ―「保守って、まだまだ終わってなんかいないよ」と。