Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

人間、「型」が大切だ。

最近つくづく思ってること。

 

人間、「型」が必要だ。

 

日常会話において「型」という言葉は、どちらかというとネガティブな意味合いを含む。

「まだ若いのに型にはまるな!」

みたいな感じで。

ところが僕は、若い人こそまず「型」にはまるべきだと思っている。

 

武道の世界では、まず「型」を習得するために一生懸命練習する。

そして、ここからが重要なのだが、頑張って「型」を習得すると、今度は師匠は「型にとらわれるな。型を忘れろ」と言うのだ。

なんだ矛盾してるじゃないか、だったらはじめから型を覚えろなんて言うなよと思われるかもしれない。もっともだ。

だが、意味ならちゃんとあるのだ。

武道というのは、いきなり我流でやっても強くはなれない。

まずは、「型」を習得する必要がある。

そしてある程度の強さになったら今度はその「型」を忘れないといけない。

だが、あらかじめ「型」を習得していないと、「型」を忘れることはできないのだ。

「型」を習得していなければ、ただの我流と同じになってしまう。

 

むずかしく聞こえるかもしれないが、同じことは、実は政治の世界にも言えるのだ。

近頃、「もう右翼も左翼も終わった」(あるいは「保守は終わった」等)などと生意気なことをホザく平成生まれの若造が、とみに増えた。

分かってないね。

それでは単に我流の、ハチャメチャな「格闘技」をやっているだけだ。それでは強くなれない。

 

真に強さを望むならば、まずは「型」を身につけることだ。

政治の世界の場合、「型」というのはオーソドックスな右翼左翼の言説のことを指す。

20代前半の若者は、最初はむしろ産経の『正論』や岩波の『世界』といったガチガチの論壇誌から読み始めるといい。そうやって右なり左なりの「型」を習得することだ。

やがて、敏感な子なら、それらの雑誌に「物足りなさ」を感じることだろう。

それこそが次の、「型」を忘れるステージだ。

そこまで来たら、既存の論壇誌から離陸して、いよいよ「自分の思想」を育む頃合いだ。

 

政治の世界でも、我流を目指すのは、「型」を習得した後の方がいい。