Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

生い立ちの記(第7回)

小学校時代については、正直に言って、あまり語るべきことがない。

だからさっさと中学校時代に話をもっていくことにする。

 

僕のいた中学というのは、沼津市の公立中学の中でも一二を争う不良校(w)として知られていた。

まぁ、確かにいろいろと苦労もしたが、今になって振り返ると結構面白い時期でもあった。

高校大学と受験に失敗しまくって第一志望の学校に行けなかった僕にとって、真に「母校」と呼べるのは、この中学校だけだ。

 

今にして思えば、僕という人間はこの中学の時期(90年代後半)にほとんど出来上がってしまった。

まず、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』ブームが挙げられる。

東京地区ではすでに95年に放送が開始されていたが、僕のいた静岡はテレビ東京が映らない「アニメ不毛の地」であるため、テレビ放送は劇場版が公開された97年まで遅れたのだ。

しかしそれが僕にとってはむしろ幸いだった。97年当時、僕は12~3歳。中学校1年生だった。

幸いなことに主人公の碇シンジ君とほぼ同年齢の時期に、このアニメに触れることができたのだ。

これが東京で放送が始まった95年、僕が小学5年生のときだったら、大分受け止め方が変わっていただろう。

この時期の2年差は大きい。

エヴァ』に触れたおかげで、僕はキリスト教神学に関心を持つようになった。それが今の僕を支える柱の一つとなる。

 

小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言 戦争論』もこの流れの中で挙げるべきだろう。

この本が出版されたのは98年のこと。たちまち当時の若者たちから絶大な支持を受けた。

この本に影響された著名人は、意外と多い。

お笑い芸人のオードリー春日さんもその一人なのだそうだ(僕も最近まで知らなくてビックリした)。

彼はこの本の影響を受けて保守タカ派となり、近年雑誌のグラビア撮影の際にこの本を胸に抱いて撮影に臨んだという。彼は「戦争に行った祖父たちは本当に悪人だったのだろうか」という思いをずっと抱き続けてきたという。

僕はさすがにこの本を胸に抱いて写真撮影に臨む気にはならないが(w)、学校で教えられた歴史観を相対化させてくれたという意味で、この本は僕にとってとても重要な本だ。

 

最後に、こういう時代の流れとは全く無関係に、当時の僕が言語学に関心を持ち始めたことにも触れておきたい。

それまでは英文法など皆目分からなかった。だがある日から、僕は言語の中にきちんと法則(すなわち文法)が宿っているという事実に一種の奇跡を見出すようになった。

別に人間が意図して文法を作り上げたわけじゃないのに、人間が普段何気なく話していている言語の中に確固たる法則が隠れている。

そのことに僕は不思議な感動を覚え、それ以降、英文法がすらすら頭に入ってしまった。

思えばこれは文科系というよりかはむしろ理科系的なアプローチだったように思う。すなわち、複雑な自然の中から単純な法則を見つけ出すという考えだ。

やがて僕は英語だけでなくドイツ語やフランス語、ロシア語などにも関心を持つようになる。

 

…こうして見てみると、人間というのは15歳で「人間性の骨格」とでもいうべきものが大体完成してしまうということに気付く。

15歳というとまだコドモのように思われるかもしれないが、とんでもない。

少なくとも僕は15歳のころにはすでに、今の自分の土台が完成していた。