Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

脈絡なくしゃべる(書く)ということ

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』を読み返しているところです。

 

今回読み返してみて、あらためて印象に残ったのが、三兄弟の父・フョードルのセリフのあまりの脈絡のなさ
酔っ払いにありがちな、饒舌なわりには話題がまとまらず、ぽんぽん飛躍するような喋り口で、「え、コイツ結局何が言いたいの?」という感じ。
そういう「脈絡のない」セリフをちゃんと「脈絡のないままに」小説にしてしまうドストエフスキーの筆力は、やっぱり常人離れしているなぁ、さすが文豪だなぁ、と感心した次第です。

 

※その点、昨日とりあげたドラマ版『カラマーゾフの兄弟』では、父・文蔵(=フョードル)のセリフが悪人なりに首尾一貫してしまっていて、そういう意味では退屈でした。

 

小説にしろ映画にしろ、クリエイターがフィクションをつくる場合、ふつう登場人物のセリフを―クリエイターも無意識のうちに―脈絡があるように整えてしまうんですよね。

でも、ドストエフスキーはそれをしていない。

 

僕は日本の短編映画『亀虫』(03年、冨永昌敬監督)を思い出します。
登場人物のモノローグが延々と続けられるという実験的な作品ですが、そこでもやはりモノローグに脈絡はありません。

でも、普段我々の心の中の声って、そんな感じのはずなんですよね。ちゃんと脈絡があるように考えよう、なんて思ってない。

ところが、それを映画なり小説なりにしようとすると、どうしてもつい脈絡があるよう整えてしまうんですね。

それを、あえて整えないのが、一流のクリエイターなんだと思います。スゴイです。