Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

安倍さんが嫌われるのは、なぜ?

安倍首相が我が国のリベラルから(異常なくらい)叩かれる理由について、僕なりに考えてみた。

 

思うに、安倍さんという人は絶えずメタモルフォーゼ(変身)してるからじゃないかな。そのせいで、「安倍は○○!」とレッテルを貼っても、すぐに無効になってしまう。

たとえば、「安倍はおぼっちゃまだからドロドロした現実政治を知らない」という批判がかつてなされた。

でもそれは、第一次政権時代には当てはまっても、第二次政権の現在ではもはや当てはまらないだろう。安倍さん自身が(おそらくは)過去の失敗を反省し、進化したからだ。

こうして絶えず、安倍批判は無効化されていく。そこにリベラルはイラついてるんだと思う。

 

人間は、「○○は××だ!」と既存の枠組み内におさめることで(=物語化することで)安心を得ようとする生き物だ。

リベラルは、つねにメタモルフォーゼして既存の枠組みからスルスルと抜け出てしまう安倍さんを見て、不気味に感じてしまうのかもしれない。

 

政策面においても、同じことが言えそうだ。

本来ならば左派が取り組んでもまったく不思議ではないリフレ政策や、女性の社会進出促進などのリベラルな政策を実施するなど、(第二次)安倍政権は従来の「保守-リベラル」図式では捉えきれない、なかなかに厄介な政権だ。

そこに、「不気味さ」を感じてしまうんじゃないかな。

 

…ふと思ったけど、もしかしたら安倍さんはリベラルの目には、映画『ノーカントリー』(07年米、監督:コーエン兄弟)における、ハビエル・バルデム演じる「殺し屋」のように映っているのかもしれない。

映画を未見の方のために簡単に解説すると、この殺し屋の特徴は「物語化」を拒絶することにある。

「お前は○○だろう」と決めつける人間を、躊躇なく殺す。

粗野なようで、繊細な一面もある。無教養に見えて、含蓄ある言葉をときおり口にする。無感情のようで、ときたま感情あふれる一面ものぞかせる。

ようするに、既存の枠組みに収まらないし、収まるのを断固拒絶する存在なのだ。

いうまでもなく、安倍さんは人殺しではない(いわゆる「戦争法案」への反対などばかげている)。だが安倍さんが、上に述べたような意味で『ノーカントリー』の殺し屋に近い存在としてリベラルに受けとめられている(がゆえに恐れられている)可能性は、あると思っている。