Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

映画『王将』を解説しました

先日、NPO法人江東映像文化振興事業団の夏季市民上映祭にて、映画『王将』の解説を担当いたしました。

残念ながら当日参加できなかった方々のために、本ブログに解説を載せようと思います。

以下の文章は、テープ起こしっぽいですが、そうではありません。僕が当日しゃべった内容を、レジュメを見て思い出しながら書いたものです。当日は時間の都合上、言いたいことの半分も言えなかったのですが、その言えなかった分も今回まとめて文章にしてみました。

お読みいただけると幸いです。

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はじめまして。当法人の理事をつとめております、古澤と申します。

それでは今回上映いたします映画『王将』の解説を始めさせていただきます。

まずは本作の主人公・坂田三吉から。

坂田三吉は「阪」田三吉とも書きます。坂と阪、どちらが正しいのかについてはいまだに議論があって、定かではありません。本人に聞けばよかったじゃないか、と思われるかもしれませんが、後述するように坂田本人は読み書きができなかったものですから、本人にも分からない。かくしてサカタの正しい表記は永遠のナゾとなっております。

坂田は1870年、大阪の堺に生まれます。家が貧しかったものですから、幼いころから丁稚奉公に出されていたんですね。学校に行かせてもらえなかった。だから、読み書きができなかったというわけです。

若いころから素人―今風に言えば、アマチュアですね―の将棋指しとして大阪で頭角を現していきました。それで当時「大阪名人」と呼ばれていた小林東伯斎という人に弟子入りして将棋を教わります。

1891年、坂田は生涯のライバルとなる関根金次郎とはじめて対局するも、負けてしまいます。1906年にはふたたび関根と対局しましたが―映画ではこのシーンから始まっていますね―坂田が千日手のルールを知らなかったものですから、またもや負けてしまう。それで、打倒関根にむけて闘志を燃やします。

1908年、大阪朝日新聞(今の朝日新聞)の嘱託になる。つまり契約を結んだわけですね。おかげでそれまでの貧しい暮らしからようやく脱却しまして、生活が安定してきました。

1910年、坂田はその大阪朝日新聞の紙面上にて「自分は七段の実力があるから自分で七段を認定する」と勝手に宣言して(w)七段のプロ棋士になります。スゴイですよね。今じゃ考えられない話ですw 当時は将棋界のシステムが確立する前でしたから、こういう勝手な振る舞いもアリだったんですね。

1913年には東京で関根と対局しまして、今度は勝利をおさめます。一説によるとこの時の対局が映画『王将』のクライマックスである、あの「銀が泣いている」一局であったと言われています(異説もありますが)。

さて、ここらで『王将』にもかかわってくる、将棋界最高峰の称号「名人」について説明する必要があるでしょう。ちと長くなりますがご了承ください。

江戸時代までの将棋界は今の歌舞伎界と似ていて、将棋指しの家系というものがいくつかありました。それらの家系のなかから名人を選んでいたんですね。それが明治以降になると、今度は将棋界の中で実力と人望を兼ね備えた人が周囲から推されて名人になる、というシステムに移行します。で、坂田のライバルである関根が名人に就くわけです。

ところが当時はまだ将棋界が現在のようには統一されておらず、なかでも関西の棋界はかなり独自に動いていました。1925年、坂田は関西の財界有力者から名人に推戴されます。ところが、これを認めない東京将棋連盟と対立しまして、坂田は一時的に将棋界を「干された」ような状態になってしまいました。

この時期、将棋界はかなりゴタゴタするのですが、そのいきさつについて説明するとあまりにも長くなってしまうので、詳しくは「神田事件」でググってください。当時の将棋界は現在のシステムへと移行する過程の、混乱期にあったのですね。

1937年、ようやく東京の棋界と和解した坂田は、はれて将棋界に復帰いたしまして、当時棋界の第一人者だった木村義雄という人と京都の南禅寺というお寺で対局をします。この時の一戦は「南禅寺の決戦」と呼ばれていて、将棋ファンの間ではすこぶる有名なものです。この他にも坂田は数多くのエピソードを残しました。

そんな坂田でしたが、1946年、なんと食当たりのためあっけなく死んでしまいました。75歳でした。

 

坂田の生涯に続いて、今度は映画『王将』について解説いたします。

坂田が亡くなってからまもなく、劇作家の北条秀司という人が、坂田の半生を描いた『王将』という戯曲を発表します。これが好評だったことから、映画『王将』の制作へとつながりました。

メガホンをとったのは伊藤大輔監督。彼はそれまで『忠次旅日記』、『斬人斬馬剣』などの作品で知られていました。時代劇の人だったんですね。主演は「バンツマ」の愛称で親しまれた坂東妻三郎です。破天荒なんだけど同時に人たらしでもある、そんな坂田三吉像をみごとに表現しました。そんな坂田を献身的に支える妻・小春役には水戸光子。彼女の演技も良いんですよね~。

それから、監修。将棋を題材にした映画や漫画では、画面に映し出される局面がちゃんと将棋として成り立っているかどうかをチェックする係が求められます。それが監修という仕事で、『王将』では、昭和期に大活躍した升田幸三という棋士が監修を担当しています。この升田という人、お髭モジャモジャ、眼力ギラギラ、となかなかビジュアル的にインパクトの強い人ですw 彼は関西の人ですから生前の坂田とも親交がありました。坂田本人から「木村義雄を倒せるのはあんただけや」と激賞されたこともあるといいます。

映画『王将』は、今回上映される1948年版の他にも、これまで何度か映画化されていまして、1955年には同じ伊藤大輔監督が『王将一代』という映画を撮っております。1962年にはこれまた同じ伊藤大輔監督が、タイトルまで同じ『王将』という映画を、三國連太郎を主演に迎えて撮っている。伊藤監督、つくづく『王将』が好きだったんですね~。1973年には掘川弘通監督という人が勝新太郎を主演に迎えて『王将』を撮りました。

それでもやっぱり、この1948年版、バンツマの坂田が一番だと思いますね。