Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

なぜ文章を書くのか。

ネット上を巡回しておりますと、

「感想文なんて、単に『楽しかったです。』だけで十分じゃ~ん!」

という、おそらくは文章がニガテな人たちによる嘆きの言葉を目にすることがよくあります(^_^;)

 

まぁ、気持ちが分からないわけではありません。私自身、小学生のころは作文が大のニガテで(w)、かならず休み時間まで教室に残って、書くことを余儀なくされていました。

それでも、です。私はあえて言いたい。

「楽しかったです。」じゃダメなんだ。

ちゃんと文章にしないと、ね。

 

なぜ文章を書くのか。

そうしないことには、思考を可視化できないからです。

よく誤解されることですが、「考えてから書く」のではありません。

「書きながら考える」のです。書くこととは、すなわち考えることです。

 

人間の思考というのは、頭の中にあるうちは、ただの「もやもや」にすぎません。それを文章にすることで、はじめて思考は可視化され、筋道だったものとなるのです。

我々が合理的に考えるためには、まず「書く」必要がある。

それなしには、何も始まらない。

 

私は、最近見た映画の感想を、かならずブログに書くようにしています。

正直に言っちゃうと、メンドクサイ仕事ですよ、結構(^_^;)

それでも続けているのは、きちんと文章の形に残すことで、作品を見て考えたことや俳優さんの評価などを、頭の中のあまりに漠然とした―それゆえにかなり非論理的な―「もやもや」から、ハッキリとした筋道だったものに変えることができるからです。

「もやもや」はすぐに頭のなかから消えてしまいますが、一度きちんと言語化したアイデアは、そう簡単に忘れられることはありません。

 

感想文が「楽しかったです。」の一文だけでは、頭の中の「もやもや」は未来永劫「もやもや」のままです。

それでは人間らしい合理的思考はできません。

人間とは、書く動物です。

―いや、むしろこう言ったほうがいいでしょう。

書くことによって、「ヒト」ははじめて「人間」となるのだ、と。