Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第56回)

今回はフランスの名監督ルネ・クレール(1898‐1981)の作品を中心に取り上げていきます。

 

・『幽霊西へ行く』

18世紀のスコットランド。出征したある青年貴族が戦死してしまうが、その死に方があまりに情けないというので父の霊から成仏を禁じられ、やむなく幽霊となって居城にとどまる。

時は流れ、20世紀。城は困窮した現当主(幽霊と一人二役)から米国人の富豪へと丸ごと売却される。「城を建物ごと米国・フロリダに移築する」と当然のように言いだす富豪。当主は仰天するも、やむなく工事監督として米国まで同行することに。当然、地縛霊である幽霊も城とともに大西洋を越えて米国に入る。そこで幽霊を待ち受けていた運命は…

というわけで成金のアメ公が新興の米国富裕層がスコットランドの古城を“爆買い”しちゃったよ、というお話。本作が公開されたのは1935年。新興の大国であるアメリカ合衆国がいよいよ老大国・大英帝国にとって代わって、新たなる超大国として世界に君臨しようとしていた時期だ。

米国人は良くも悪くも欧州人とはものの考え方がまったく異なる。中世の甲冑を改造してラジオを内蔵させ、それを平然と周囲に自慢する。監督のルネ・クレールはフランス人。「ああ、なるほど。当時の米国人は、欧州人の目にはこういう風に見えていたのか」と納得させられた。

それにしても「爆買い」というのは新興国には普遍的な現象なのだろうか。

 

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・『悪魔の美しさ』

ファウスト伝説といえば、かのドイツの文豪ゲーテの戯曲『ファウスト』があまりにも有名だ。だが今回ご紹介するのは、フランスのルネ・クレール監督が独自の解釈に基づいて映像化した『悪魔の美しさ』。

主人公ファウスト博士は、悪魔メフィストフェレスの魔力によって若返り、得意の錬金術を駆使して王国中に金貨をばらまいて、一躍時の人となる。有頂天のファウストは(自身の輝かしい)未来を見たい、とメフィストフェレスにせがむが、見せられた「未来」を見て愕然とする。はたしてファウストは残酷な未来(運命)から逃れられるのか。

詳しいネタバレは伏せるが、「逃れられる!」というのがクレール監督のメッセージだ。非常にポジティブであり、よって本作は「人間賛歌」と言っていいと思う。

 

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・『吸血鬼ノスフェラトゥ

吸血鬼を扱ったホラー映画の元祖とされる、1922年製作のドイツのサイレント映画

吸血鬼ノスフェラトゥの住む古城のシーンでは、幻想的な雰囲気を出すため、あえて映像を早送りにしたりポジとネガを反転させたりと、当時としてはきわめて斬新であっただろう演出技法を施している。

もっとも、CGだの3Dだのに慣れきった我々21世紀の観客が見ると、「あぁ、当時の製作者たちは吸血鬼のおどろおどろしさを表現するために、本当にあの手この手を駆使していたんだなぁ」と、それはそれでまた違った意味で印象的な作品である。

 

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・『自由を我等に』

ルネ・クレール監督がフォーディズム批判をテーマに描いた、ミュージカル仕立て(!)の作品。

刑務所での画一的な生活に嫌気がさして脱獄した主人公。脱獄囚という身分を隠しつつ社会的成功を収めた彼は、巨大な蓄音機工場を建設する。そこにこれまた脱獄してきた主人公の友人が労働者として就職する。ところがこの工場での毎日も画一的で、結局は刑務所と大差なかった…!

ルネ・クレール監督は、先に挙げた『悪魔の美しさ』のような文芸路線もいいが、個人的には『幽霊西へ行く』や本作のような、現代社会をユーモアたっぷりに風刺するタイプの作品のほうが好みだ。

本作ラスト、蓄音機工場は完全に自動化され、労働から解放された人間たちは一億総芸術家状態となって、恋に、趣味に、と各々がハッピーな毎日をすごして物語は大団円となる。だが21世紀に住む我々から見れば、それはあまりに楽天的すぎる未来像、と言わざるを得ない。

  

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・『巴里の屋根の下』

ルネ・クレール監督の手による、こちらはコメディタッチではないミュージカル映画

パリの下町に暮らす男女の恋愛物語を歌とともに描く。

本作はクレール監督にとっては初めてとなる、トーキー作品。トーキー(talkie)といえば当然、登場人物らがしゃべる(talk)わけだが、監督はそのトーキーであえて「音声を消す」という逆転の発想を採用した。主人公らが口論している場面、喧嘩している場面をあえてガラス越し、あるいは遠くから撮影し、音声を消す。

今となってはごく普通にみられる手法だが、当時の観客の目にはさぞや斬新に映ったことだろう。クレール監督の、この非凡なる才覚!

 

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