Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

働かないことのキツさ

このたびスイスにて、ベーシックインカム(BI)導入の是非をめぐって、今年6月に国民投票が行われるはこびになったんだとか。

 

スイス、6月に国民投票「最低生活保障」導入巡り

www.nikkei.com

 

もちろん、BIという制度についてはいろいろと批判も多くなされているけど、ここで僕が注目したいのは、仮にBIが導入され、まったく働かなくていい社会が実現したとして、「働かないこと」にはたしてどれだけの人が耐えられるだろうか、ということ。

 

これは、結構分かりづらい問題設定かもしれない。多くの人は「働くことのキツさ」は身に染みて理解していても、「働かないことのキツさ」についてはなかなか経験したことがなく、したがって想像することもできないからだ。

実をいうと僕は一時期、いわゆる「ひきこもり」に近い生活を送っていたことがある。僕は、だから「働かないことのキツさ」が―すくなくとも一般の人よりかは―分かっているつもりだ。

 

意外に思われるかもしれないけど、まったく働かないというのも、それはそれでかなりキツいものだ。

まず、生活リズムが崩れまくる。「自分の起きたい時間に起き、寝たい時間に寝る」という生活は、一見すると理想的だが、実際にこれをやるとほぼ確実に昼夜逆転の生活に陥る。もっとも、完全に昼夜逆転の生活リズムが固定されてしまえばまだいいほうかもしれない。実際には生活リズムは乱れに乱れて、また昼中心の生活に戻ったり、また昼夜逆転に陥ってしまったりする。

このように生活リズムが崩れまくると、確実に体調はダルくなる。いつも頭がボーとしてしまってうまく働いてくれない。…以上は、肉体的なキツさだ。

働くことの意義に、「他者からの承認」がある。職場の上司・同僚から「この仕事はお前がいてくれないと回らないんだよ!」と言ってもらえるのは、なんとも名誉なことだ。ところが働かなくなると、当然ながら他者から承認されることもなくなってしまう。これって、結構堪えるのだ。…こちらは精神的なキツさだろう。

精神的なキツさはまだある。働かないとなると、どうしても暇を持て余してしまう。多趣味な人ならまだいい。膨大な時間を趣味に費やすことで乗り切ることができる(たとえば僕がそうだ)。

だが趣味が少ない人は、どうなるのだろう。突如与えられた有り余る時間を有意義に使うことができず、ただただ無為に過ごしてしまうのだ。時間を「消費」するのでなく「浪費」してしまうというわけ。これも精神的に、かなり堪える。

 

…というわけで、結論。「働かないこと」に、ほとんどの人間は耐えられない。

仮に将来 BIが導入されたとして、「わー!これでもう働かなくてもいいんだー!わーい!」と喜んでいられるのも、せいぜい最初の半年くらいまで。それ以降は上述の「働かないことのキツさ」に耐えられず、多くの元労働者たちが「お願いだから働かせてくれェ!」と政府に懇願するようになるだろう。精神に支障をきたす人も続出するに違いない。

以前、左の人たちによる「働かないぞデモ」というのを見たことがあるが、BI導入後の世界では反対に「働かせろデモ」が頻発するようになるだろう。これはもう、絶対にそうなる。賭けたっていいくらいだ。

 

「いやいやBIなんてどうせ導入されないですよ。労働のない社会なんて絵空事です」なーんて“甘いこと”を考えてはいけない。いまや囲碁ですらコンピューターが人間に勝利する時代だ。これから先、ロボットやAI(人工知能)はどんどん僕たち人間の仕事を奪っていくことだろう。

好むと好まざるとにかかわらず、「働かなくていい社会」―というか、「働けない社会」?―は今世紀前半のうちには到来する、というのが僕の見方だ。

そうなったときに、僕たちはどうすればいいのか。まだタクシーの運ちゃんが人間でいられる今のうちに、考えておいたほうがいいだろう。

 

ちなみに。僕は先日述べたデータ入力関連の仕事を結構気に入っている。なるべくこの仕事を続けたいと思っている。だから、AI、この仕事を取らないでおくれよ。