Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

僕は翻訳こんにゃくの夢を見る

昨日はロボットやAI(人工知能)の発達で、今世紀前半のうちにもう「労働のない社会」が到来するんじゃないか、という話をした。そしてそれは必ずしもユートピアではなく、多くの人たちにとってむしろディストピアにすらなりうる、という話だった。

そういう話をすると、みなさんは僕のことを悲観主義者だと感じるかもしれない。たしかに、ある面ではそうだ。でも、必ずしもすべての面で悲観主義者、というわけではない。僕はそこまで暗い人間ではない。

僕がAIの進歩をとても楽しみにしている分野がある。それは、翻訳の分野だ。

 

今の時点でも、たとえばグーグル翻訳というサービスが存在する。

しかしみなさんもよくご存じかとは思うが、現在の翻訳技術は正直あまり信用できない。英語を日本語に変換しようとすると、わけのわからない文字列になって終わりだ。

これは、インド・ヨーロッパ語族印欧語族)ゲルマン語派西ゲルマン語群に属する英語という言語と、僕たちが日常用いている日本語―系統不明とも日本語族とも言われる―という言語との間に、言語学的に大きな隔たりがあるからだ。

これが、同じ印欧語族の言語、たとえばドイツ語だとかフランス語だとか、はたまたロシア語だとかを英語に変換する場合だったら、まだマシな文章になる。

僕は、だからフランス語やドイツ語の文章を読まなければいけないときには、直接日本語にグーグル翻訳するのではなく、英語に翻訳してから読むようにしている。

 

現状はこんなだけれども、AIが進歩していけば、今世紀前半のうちには十分実用に耐えうる自動翻訳技術が誕生することだろう。たぶん。

文章の翻訳もできるし、リアルタイムの会話だって翻訳できるはずだ。ちょうど『ドラえもん』の「翻訳こんにゃく」みたいな感じで。

具体的にはどうするか。たとえばふたりの話者が特殊なメガネを着用し、翻訳用AIがそのメガネにリアルタイムで翻訳した内容を文字列にして表示させてくれる、というのはどうだろう。そうすればお互い異なる言語を使っていても「会話」ができる。(メガネを使って文字を表示させるウェアラブル端末という技術は現時点ですでに存在する)

そうなればまさに翻訳こんにゃくの実現だ。かつてバベルの塔を破壊して人間たちの言葉をバラバラにした神の努力も水泡に帰すのである。ざまぁ。

 

このように翻訳技術が進歩することの、何が素晴らしいか。それぞれの話者がそれぞれの母語会話ができる、ということだ。

たとえば僕とタンザニアの知識人が(オンラインでもオフラインでもいいけど)会話するとして、僕が母語である日本語で、彼/彼女がスワヒリ語で話をして、それでじゅうぶん知的な会話が成立してしまう、というのがいちばん理想的だと思う。

現時点では英語が(自称)国際語として幅を利かせている。だがpolitical correctness(政治的正しさ)の観点からすれば、たかだかイングランドの一言語にすぎぬ英語がこのように幅を利かせているのは、よろしくないんじゃないか。これはcultural imperialism(文化帝国主義)というものだろう。

今はもう21世紀で、19世紀じゃないんだし、そろそろ人類はさまざまな形のimperialismから卒業すべき時期なんじゃないかな。

 

これから先、すべての人たちが“自らの母語で”コミュニケートできるような世の中になれば、それはとても素晴らしいことだと思う。