Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

『アメリカン・ヒストリーX』と仏教

先日、映画好きの同級生たちと一緒に飲む機会に恵まれた(いやぁ、趣味のあう仲間って、ホントいいですよね~)

その際、名画として話題に上ったのが、『アメリカン・ヒストリーX』という90年代のアメリカ映画だ。

ファイトクラブ』でおなじみエドワード・ノートンが主演をつとめるこの映画は、人種差別をテーマにしたかなり硬派な社会派作品で、僕の印象にも強く残っている。

今日は、この映画の話をしよう。

ただ、結末も含めてネタバレをしてしまうので、この映画を未見の人は以下の文章を読まないことをオススメする。

 

 エドワード・ノートン演じる主人公はレイシスト(人種差別主義者)であり、黒人を殺した罪で刑務所に服役している。

その彼が、ついに刑期を終え、出所の日を迎えた。同じくレイシストである彼の弟は、そんな兄の出所を心から歓迎する。

ところが出所した兄はすっかり別人のようになっていた。聞けば、服役中、黒人に命を助けられたことをきっかけに、レイシズムの愚かさを悟り、これと決別したという。

兄の話に感銘を受けた弟もまたレイシズムと決別。かくして兄弟は心を入れ替え、新しい人生を始めようとするが…

これで「めでたし、めでたし♪」とならないのが、この『アメリカン・ヒストリーX』のスゴイところ。

なんと、改心した弟が、にもかかわらず黒人に殺されてしまうのだ。弟はレイシスト時代に黒人へのヘイトクライム(差別にもとづく犯罪)を繰り返しており、そのため黒人たちから恨みを買っていたのだ。

絶望する兄。かくして映画は幕を下ろす…

 

きわめて救いのないこの映画を、さて僕たちはどう捉えればいいのだろう。

僕は本作を、仏教でいうところの「業」(カルマ)を描いた映画だと受け止めた。

業とは、簡単に言えば、「結果をともなう行為」のことだ。仏教によれば、良い行為をすれば良い報いがあり(善因善果)、悪い行為をすれば悪い報いがある(悪因悪果)という。

ここでポイントなのは、業は帳消しにはならない、ということだ。

良い行為をしたところで、過去の悪い行為は、それはそれとして残される。改心してレイシズムと決別したところで、過去に行ったヘイトクライムという業が消えるわけではない。

そしてその業はついに弟を飲み込み、兄を絶望へと追いやる。観客は業のおそろしさを目の当たりにし、震撼するのだ。

 

…このように書いてみると、90年代のアメリカ映画においてすら仏教を読み取れるということに驚かされる。

仏教というのはお葬式のときにだけ登場するものではない。もっと、我々現代人の生に、密接に結びついているものなのだ。