Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

字幕にまつわるエトセトラ

今日は、映画の字幕の話をしよう。

 

外国映画を鑑賞するにあたり、字幕は我々にとって―よほどの語学マニアでないかぎり―必要不可欠なものだ。

だが残念なことに、字幕にはいくつか問題点がある。

ひとつは、ときとして明らかな誤訳があることだ。

僕が先日見た西部劇映画に、こんな場面があった。

ならず者連中が主人公の親友を拉致監禁してしまう。彼らは手紙で「早く来なければお仲間の指を一本ずつ切っていくぞ」と脅しをかける。そして「指を全部切ったら今度はつま先を切るぞ」と言ってさらなる脅しをかける。

「はて、つま先を切る…?」

字幕を見た当初は、どうにも意味がよく分からなかった。つま先を切るというのは、どういうことだろう。

気になって原音を聞きなおしてみたら、"toe"と言っている。

それでピンときた。

英語のtoeには「つま先」という意味のほかに「足の指」という意味もある。

つまりならず者連中は、「お仲間の手の指を全部切ったら、今度は足のほうの指(toe)も切っていくぞ」と言って脅していたのだ。

この場合は、したがって「つま先」ではなく「足の指」と訳すべきだったろう。

 

明らかな誤訳でなくても、字幕には「情報量を端折っている」という問題点もある。

洋画のDVDをお持ちの方はぜひ一度、吹き替え音声に日本語字幕をつけて、両者を比較してみてほしい。吹き替えられたセリフと比べて、字幕が本当に必要最低限の情報しか伝えていないという事実に驚愕するはずだ。

字幕は、文字数も可能な限り圧縮している。たとえば「~すること」と書く場合、プロの編集者は書き手に対し、「こと」をひらがなで書くよう指導するのが普通だ。ところが字幕では「~する事」と漢字で書かれることが多い。そのほうが文字数を圧縮できるからだ。

どうしてここまでして情報量ないし文字数を圧縮する必要があるのかというと、人間の目が一度に捉えられる文字数には、限りがあるから。

僕の友人が、海賊版DVDを見たとき、字幕の文字数が通常に比べてあまりに多いのでとても目が疲れた、と言っていた。

そう、僕たちが普段なにげなく見ている字幕は、実はかなり考え抜かれた結果の産物だったのだ。

 

とはいえ、「あんまり端折りすぎてるのもイヤだ。やっぱり吹き替えのほうがいいんじゃないか」という話に、当然なるだろう。

外国映画を鑑賞するにあたって、「字幕版を見るか、吹き替え版を見るか」というのは、結構意見の分かれるところだ。

「映画ファンだったら当然字幕で見るんでしょ?」と思われるかもしれないが、案外そうでもない。

コアな映画ファンのなかには、「ひたすら映像美を堪能したいので、字幕を追う必要のない吹き替え版のほうを好みます」という人も意外といるからだ。

 

…僕はどうかって?

「わりと、どうでもいい」というのが僕の答え。とくにこだわりがあるわけではない。

ただ、それはあくまでハリウッドの、英語の映画での話だ。比較的ローカルな言語の映画であれば、なるべくオリジナルの音声で聞きたい、と思う。ローカル言語の響きを楽しみたいからだ。

たとえば、アキ・カウリスマキ監督の映画ならフィンランド語で、イングマール・ベルイマン監督の映画ならスウェーデン語で、テオ・アンゲロプロス監督の映画ならギリシャ語で聞いてみたい。

それらとくらべれば、英語圏の映画なんて、わりとどうでもいいんだ。英語なんて聞き慣れてるからね。今更英語の響きなんて、ど~でもいいよ、という感じ。

…ということを先日酒の席で述べたら、「うーん、斬新な意見だ!」と驚かれてしまったw