Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書くということの醍醐味

最近つくづく思うのは、「文章を書く」という行為は、非常にクリエイティブな知的営みである、ということだ。

それには、イマジネーションが強く求められる。

 

「いや、それは詩とか小説とか、ようするに文学を書くときの話でしょ。説明文だったら、イマジネーションなんてそんなに必要ないでしょうに」

という答えが返ってきそう。

ところがどっこい、違うのだ(笑)。

説明文だって、イマジネーションが求められるのだ。

 

文章は、どんな人が読んでも理解できるように、誤解のないように、書かれなければならない(当たり前のことだが)

書き手は、読み手の性別、職業、世代、趣味までをも想像しながら、わかりやすい文章を書くことを求められる。

自分にとってはいまさら説明するまでもないことでも、読み手によっては「え、何? コレどういうこと?」と意味がわからず混乱してしまうかもしれない。

文章を書くときには、したがってつねに他人の立場になって、ものを考える必要がある。イマジネーションが求められるゆえんだ。

政治哲学者、ジョン・ロールズの思想に「立場の入れ替え可能性」というアイデアがある。白人男性が、もし自分が黒人だったら、女性だったら、と想像をめぐらせる。文章を書くときに求められるイマジネーションも、これと似ているといえるかもしれない。

 

ライターさんのお仕事のひとつに、「テープおこし」というのがある。

おエライ評論家のセンセイたちの講演や対談などをテープ(※)に録音し、それを一字一句活字にしていくという地味な作業のことだ。

※おっといけない、つい「テープ」なんて昭和の語彙を使っちゃったけど、最近ではICレコーダーなどの文明の利器の登場で、テープを使わない機会が増えた。21世紀ね。

こういうと結構な単純作業のように思われるかもしれないけど、案外そうでもない。

人間というのは、実際には自分で思っているほど理路整然としゃべっているわけではない。

嘘だと思うなら、実際に友達としゃべった内容をテープ(あ、また言っちゃった。ICレコーダー)に録音して、それを聞いてみるといい。あまりの支離滅裂ぶりに、きっと赤面するはずだ。

なかなかどうして、人間は論理的にはしゃべれない。プロの物書きは論理的な文章を書くが、あれは時間をかけて推敲して、ようやくああなっているのだ。ふつうにしゃべって、びしっと整合的な文章になるはずがない。

というわけでテープおこしの際には、言葉を補ったり削ったりして、文章をきちんと理路整然としたものに直さなければならない。これも、ライターさんの仕事だ。

「うーん、この人は結局なにを言いたいんだろう…あ~、たぶんこういうことを言いたいんだろうな~」

…そう推理を働かせながら内容を整理していき、最終的に(話し言葉っぽさは残しつつ)きちんとした文章にまとめていかなければならない。

案外、簡単じゃないのだ。

 

ああ、文章を書くって、なんてクリエイティブな営みなのだろう。