Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

論理的な人に憧れる

僕にはどうやら、論理的な人を好む傾向があるようだ。

 

アニメの脚本家のなかでは、虚淵玄さんを高く評価している。

虚淵さんというとどうしても、その凄惨な暴力描写や、やたらマニアックな軍事的知識にばかり目がいきがちだが、僕に言わせれば、それらはごく表層的な特徴に過ぎない。

彼の脚本家としての本質は、その論理性の高さにある。

彼の代表作『魔法少女まどか☆マギカ』を初めて見た評論家たちは、この作品が(たとえば90年代の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』と比較して)徹底して理詰めでつくられていることに感嘆した。

テレビ版最終話でも、このテのアニメにありがちな「仲間たちを想うまどかの気持ちが…奇跡を生んだ!」的な安直な精神論を回避、最後までストーリーが論理的に構築されていた(※)

※明らかに『まどマギ』の影響を受けて制作されたと思しき『結城友奈は勇者である』がまさに上述のような安直な精神論で終わったのとは対照的である。

 

虚淵さんは小説家としても活動しており、彼の著した『Fate/Zero』(星海社)を初めて読んだときには、その理知的な文体に思わず舌を巻いたのをよく覚えている。

このときに思い出したのは、三島由紀夫の文章だ。

三島は東大法学部(文学部でなく)を卒業しており、その高い論理的思考能力は彼の文学においていかんなく発揮された。こう言うとご本人は照れるかもしれないが、僕は虚淵さんの文章は三島のそれに似ていると思う。

 

サブカルチャーそのものからその批評へと目を転じると、評論家の宇野常寛さんの仕事におおいに魅力を感じている。

たとえば彼のデビュー作『ゼロ年代の想像力』(早川書房)における東浩紀批判を見るといい。実にあざやかな論理で彼のセカイ系擁護論を批判している。

これは、実をいうと僕の物書きとしての原点でもある。なにか行き詰りを感じたときには、僕はかならずこの箇所を読み返すことにしているのだ。

 

僕は、必ずしも宇野さんの主張に全面的に賛同しているわけではない。

たとえば彼は、「グローバル時代においては国民国家を一個の疑似(男性)人格になぞらえる思考様式はナンセンス」という趣旨の主張をしているが、僕はそうした思考様式はまだ賞味期限切れではないと思っている。彼は下北沢再開発反対運動にかなり冷淡だが、僕はこの反対運動の担い手たちにかなり同情的だ。彼のAKB48への過剰ともいえるコミットメントについても、僕は正直どうかと思っている。

それでも彼に魅力を感じるのは、彼の文章が非常に論理的でわかりやすいからだ。

この「わかりやすい」というのは、とても重要なポイントだ。わかりやすいからこそ、それに反発することができる。「反発」というのは、理解することができてはじめて湧いてくる感情だ。そもそも理解できなければ、反発のしようがないじゃないか。そして残念なことに、この国では、少なからぬ数の人文系インテリと呼ばれる人々が、そもそも理解できない文章を書いてしまうのである。

それに比べたら、宇野さんの文章は―賛同するか否かは措くとして―理解できる。この時点でもう、宇野さんは信頼に足る書き手なのだ、僕にとっては。

 

…よく誤解されることなのだが、僕自身はこれっぽっちも論理的な人間ではない。

直観やその場の思いつきで行動することがほとんどだ。こう言うといつも「ウッソだぁ~w」と笑われて信じてもらえないのだが、本当のことだ。

自分が論理的じゃないからこそ、論理的な人に憧れるのだろう。

あ~、僕も論理的になりたいw