Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第84回)

・『野火』

先日、塚本晋也監督の『野火』を(かなり興奮気味にw)取り上げた

だが、実をいうと『野火』の映像化は今回が初めてではない。日本映画界の巨匠・市川崑もまた、『野火』を映像化した監督のひとりなのだ。

というわけで、今回取り上げるのは、その市川崑版『野火』。

さぁ、新旧『野火』対決、軍配が上がるのはどちらだろう。

答え。これは完全に塚本監督の勝ちだ。

どうしてか。一言でいえば、塚本版『野火』では世界感覚の変容が起こるのに、市川版ではそれがないのだ。塚本版では主人公にシンクロするかたちで、観客の世界感覚もまた変容する。だからこそ、兵士が自爆する場面でケタケタと笑ってしまう。

市川版では、世界感覚が変容しない。登場人物が(塚本版に比して)饒舌すぎる、というのが理由のひとつとして考えられる。登場人物のセリフを通じて状況説明をしすぎるのだ。だから観客の意識が日常のそれにとどまり、なかなか非日常へと離陸していかない。

というわけで、僕はやっぱり塚本版『野火』を推したい。市川崑ファンのみなさん、どうもスイマセン(w

 

野火 [DVD]

野火 [DVD]

 

 

・『聖処女』

19世紀フランスの地方都市ルルドで実際に起こった(とされる)聖母出現の奇蹟に材を取った映画。

キリストないし聖母マリアが大人(=男)でない存在(=子供や女性)の前にこそ姿をあらわす、という点では以前ご紹介した『汚れなき悪戯』にも似ているが、こちらは非日常(=奇跡)が闖入したことで日常(=社会)が翻弄される様子を描いている。

ルルドの有力者たちは当初、鉄道敷設を機に街を近代都市として生まれ変わらせようと考えていた。だが、まるで中世を思わせる聖母出現のニュースのせいで、街の近代都市への脱皮が妨げられるのでは、と恐れた彼らは、聖母を見たという主人公の娘をなにかにつけて迫害する。

そんな有力者のひとりが、物語後半で態度を一変、娘を擁護しだす。ようやく彼女を信じる気になったのか。

違う。巡礼客で沸きかえるルルドの街を見て、奇跡を「町おこし」のネタとして活用しようと考えたのだ。本作はこのように、聖母マリアの神聖なイメージとともに、徹底した俗物をも描きだす。

ラスト。最後まで奇跡に懐疑的だった有力者が癌を患い、街を去ることとなる。敬虔な巡礼者たちを羨望のまなざしで見つめる有力者。神を殺してしまったがゆえに絶対的な孤独に耐えることを余儀なくされた近代人の悲哀が、そこにはある。

 

聖処女 [DVD]

聖処女 [DVD]

 

 

・『伯爵夫人』

稀代の喜劇王チャールズ・チャップリンが監督を、かのマーロン・ブランドが主演をつとめた作品。

マーロン・ブランドというとやはり『ゴッドファーザー』のイメージがあまりに強烈すぎるものだから、「あのマーロン・ブランドチャップリン監督のコメディ映画にも出てたなんて!」とついつい驚いてしまう。

監督のチャップリン自身も老給仕役でカメオ出演しているので、要注目だ。

 

伯爵夫人 [DVD]

伯爵夫人 [DVD]

 

 

・『BARに灯ともる頃』

ローマ近郊の港町。ある日、ローマから年老いた父親が息子を訪ねにやってきた。息子は大学出のインテリだが、現在は兵役に就きながら港町でぶらぶら生活しているようだ。父はそんな息子の将来に気を揉むが、どうやら息子は息子なりに、うまい具合にやっているようだ。父は、これまで知らなかった息子の一面を知る。

というわけで、父と息子の物語。親子とはいっても、もう大人の男同士。大人の男が腹を割って話すには、やはりBARこそがふさわしい。

息子が年老いた父の顔をじっと見つめるシーンが印象的。父親役のマルチェロ・マストロヤンニの顔がアップで映る。額のシワ、白髪まじりの髪が画面いっぱいに映し出される。…ああ、そうだ。彼(息子)くらいの年齢になると、年老いた父の顔はこんな感じになるよな。

 

BARに灯ともる頃 [DVD]

BARに灯ともる頃 [DVD]

 

 

・『愛人 ラマン』

1920年代の仏領インドシナ(現ベトナム)を舞台に、西洋人の娘と東洋人の青年実業家のロマンスを官能的(!)に描いた作品。

西洋人と東洋人のロマンスというと、D.W.グリフィス『散り行く花』を思い出す。かつては白人の俳優が(目を細めながら)東洋人を演じていたものだが、この『愛人 ラマン』は92年制作の映画。もはや東洋人の役にふつうに東洋人の俳優を起用するようになった。

驚くべきは主人公ふたりのセックス描写。外は大通りで人があふれているというのに、玄関で平気でヤりまくる。スッカスカの木造家屋だから、喘ぎ声を聞きつけた誰かがこっそり盗み見ているかもしれないのに…。

同じくアジアを舞台とした香港映画『花様年華』では、同様にプライバシー皆無の環境のなか、主人公ふたりはセックスはおろかキスすることすらない。この違いは、いったい何なのだろう。ベトナムと香港の違いなのか。あるいは単に『愛人 ラマン』のふたりがKYなだけだったのか。興味は尽きない。

 

 

・『月の輝く夜に

NYを舞台に、イタリア系移民の男女のロマンスを描いた作品。

主演はニコラス・ケイジ。僕は彼のあの暑苦し~い顔がどうにもニガテなのだが(^_^;)、本作ではイタリア系青年の役を好演している。

ケイジ演じる青年は、かつて不慮の事故で片手をなくしており、それを兄のせいだと決めつけて非難する。だが詳しく話を聞いてみると、それはただの言いがかり。実際には兄は事故とは無関係だった(というのを青年本人もうすうす自覚している)。

なんとも手前勝手なように思えるが、僕にはこの気持ち、なんとなくわかる気がする。

誰が悪いわけでもない不運な事故をどうしても受け入れられず、怒りの矛先を仕方なく身近な親族である兄にぶつけていたのだ。こういう話、わりと多いと思うのだが、どうだろう。

イタリア系移民の話らしく、全編にわたってイタリア民謡が流れるのがなんとも印象的。