Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

第1回箱根駅伝がいろいろとフリーダムすぎる件

先日書いた叡王戦関連の記事のなかで、ちょっとだけ第1回箱根駅伝について触れた。

この第1回箱根駅伝、調べてみると、なかなかにフリーダムな大会であったようだw

今日はその話をすることにしよう。

 

箱根駅伝は、そもそも「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会という位置づけで始まった、という(驚愕の)事実を、おそらく現代の人のほとんどは知らないだろう。

結局は一度も開かれることなく、幻に終わってしまった「アメリカ大陸横断駅伝」。

かの大陸を横断するにあたって、自然の障害物として立ちはだかるのが、ロッキー山脈だ。大陸横断駅伝に挑む選手たちは、したがって山登りに慣れないといけない。日本国内で行われる予選会も、当然ルートの一部に山道を含めなければならないだろう。さて、どうしたものか。

…そうだ、東京からわりと近くに天下の剣・箱根があるじゃないか!

という(かなり安直に思える)発想から、箱根駅伝は始められたのだ。

 

記念すべき第1回箱根駅伝は、1920年2月14日に行われた。

「えっ、1月2日じゃないの!?」と現代の人は皆驚くだろう。今やすっかりお正月の風物詩として定着した箱根駅伝だが、当初は必ずしも開催日時が固定されていたわけではなかったのだ。

さらに驚くべきことには、「学生の本分は勉強」という理由で、開催当日も午前中はふつうに授業を行い(!)、午後からスタートしたのだという。なにぶん冬であるので、箱根につくころには夜になる。というわけで地元・箱根の人々が松明をたいて選手たちを出迎えたという。

山登りの5区は当然ながらかなりハードであり、第1回大会ではそのあまりのキツさから、コースわきの木にしがみついて泣きじゃくる選手までいたという。「山の神」が颯爽と5区を駆け抜ける光景に見慣れてしまった、現代の僕たちからすれば隔世の感のあるエピソードだ。

ちなみに。これは第1回ではないが、第6回大会のとき、人力車の車夫を「替え玉」として学生の代わりに走らせようとしたある大学が、それが露見してしまい、翌年の出場を辞退した、というエピソードが伝えられている。その露見した理由も、車夫が追い抜きの際に「あらよっと!」と掛け声を発したから、なんだとか。

 

うーん、なんだか…初めのころの箱根駅伝って、いろいろとフリーダムだったんですねぇ(^_^;)