Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

小室先生と双葉先生

最近、社会学者の小室直樹先生(1932-2010)の『日本人のためのイスラム原論』(講談社インターナショナル)という本を興味深く読んでいる。

おなじく小室先生の著した姉妹本『日本人のための宗教原論』(徳間書店)と内容の重なっている箇所も多いが、イスラム世界と中華世界において、ともにテロリストを称賛する伝統があることを指摘する箇所などは非常に面白く、僕は文字通り寝る間も惜しんで本著を読み進めていった。

(なお、小室先生の『~宗教原論』は僕の愛読書のひとつでもある)

 

日本人のためのイスラム原論

日本人のためのイスラム原論

 

 

それにしても、小室先生の著作を読んでいてつくづく感心することがある。

それは、彼が大変な碩学であるばかりでなく、とてもわかりやすく親しみやすい文章を書くということだ。

この国の人文系インテリ(と呼ばれる人々)のなかには、残念ながら、やたらカタカナ用語をちりばめて、意味のわからない文章を延々と書き綴ってしまうタイプの人が非常に多い。

小室先生は、そうではなく、僕たち庶民でもよく理解できるような、平易な文章で書いてくれるのだ。そこが、書き手としての彼の最大の魅力だろうーもちろん、そうした「わかりやすい文章」が、高度の専門知識と高い論理的思考能力に裏打ちされたものであることはいうまでもない。

 

「わかりやすく、親しみやすい文章」と聞いて、個人的にもうひとり思い出す人がいる。映画評論家の双葉十三郎先生(1910-2009)だ。

双葉先生は99歳で大往生を遂げられるまで、生涯のうちに2万本以上(!)もの映画を見続けてきたといわれている。

僕はこれまで、当ブログにて映画の感想を積極的に書き綴ってきた。

もしかしたら、「古澤さんは、いったいいつもどうやって見る映画を決めているんだろう?」と疑問に思われた読者の方もいらっしゃるかもしれない。

さぁさ、ここでネタばらしだ。

僕は普段、双葉先生の著書『外国映画 ぼくの500本』『日本映画 ぼくの300本』『外国映画 ハラハラドキドキ ぼくの500本』『愛をめぐる洋画 ぼくの500本』『ミュージカル洋画 ぼくの500本』(いずれも文春新書)のなかで紹介されている映画を鑑賞するようにしている。

 

外国映画ぼくの500本 (文春新書)

外国映画ぼくの500本 (文春新書)

 
日本映画 ぼくの300本 (文春新書)

日本映画 ぼくの300本 (文春新書)

 
外国映画 ハラハラドキドキぼくの500本 (文春新書)

外国映画 ハラハラドキドキぼくの500本 (文春新書)

 
ミュージカル洋画ぼくの500本 (文春新書)

ミュージカル洋画ぼくの500本 (文春新書)

 
愛をめぐる洋画ぼくの500本 (文春新書)

愛をめぐる洋画ぼくの500本 (文春新書)

 

 

双葉先生の映画批評は、かなり話し言葉に近い文体で書かれていて、とても親しみやすい。ユーモアにあふれている。

(誰とは言わないが)「表層の戯れが…どうのこうの」といった回りくどい文章は絶対に書かない。それが双葉先生の魅力だ。

 

僕も物書きとして、小室先生や双葉先生のような書き手にあこがれる。

ゆくゆくは、彼らのようなユーモラスな文章を書けるようになりたいな、と強く思う。

 

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・追記(2016.6.10)

この記事を読み返していて、両先生にもうひとつ、共通点があるのに気がついた。

それは、知識の幅広さだ。

小室先生は、その経歴を見ればわかるように、もともとは理系研究者としてキャリアをスタートさせた。そこから関心が経済学へと移り、さらには社会科学全般へと移っていったのだ。

彼は、その博覧強記ぶりを著書において遺憾なく発揮していった。

双葉先生にも似たところがある。

彼はこう言っている。

≪ぼくの人生は映画一筋、と思われているけれど、実はぜんぜんちがう。ぼくは、この道一筋、というのが実は好きじゃないのです≫(『外国映画 ぼくの500本』p341)

双葉先生は映画のほかにも、歌舞音曲、落語、探偵小説などに関心を持ってきた。そして、それらの知識が映画評にも大いに役立ったのだ。

幅広い分野に関心を持つことの大切さを痛感させられる。