Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

日本は無規範社会である

今、社会学者・小室直樹先生の著作『数学を使わない数学の講義』(ワック出版)、『数学嫌いな人のための数学』(東洋経済新報社)を読んでいるところだ。

これらの本のなかで、小室先生は「日本は無規範社会である」と述べている。

「え、日本に規範がない? 日本人は(中国人と違って)ちゃんと列に並ぶじゃーん!」と反論したい人もいるかもしれない。

だが、小室先生のいう無規範社会とは、規範のようなものがあるにはあるが、実はきわめて融通無碍で、いくらでも例外が存在する、という意味である。

たとえば近代以前の日本では、ふつう四つ足の獣(牛とか)の肉を食べなかったが、ウサギは例外だった(だから一羽二羽…と数える)。イノシシを食べる人もいたし、徳川慶喜は豚を食べるのが好きだったという。それで罰せられたのかというと、そうでもない。慶喜に至っては、ちゃんと将軍になれた。

つまり日本には規範「のようなもの」があるだけで、厳密な意味での規範はない、ゆえに日本は無規範社会なのだ、というわけだ。

 

日本が無規範社会であることで、いろいろな弊害が生じていることを小室先生は著書のなかで指摘している。だが、僕は今回の記事で、日本が無規範社会であるがゆえに持っているアドバンテージについて述べたいと思う。

それは、日本がLGBT(性的マイノリティー)に寛容であることだ。

たとえばテレビをつけてみると、女装者のマツコ・デラックスさんが大活躍。どこのテレビ局でも引っ張りだこだ。

このように女装者がテレビで人気コメンテーターになれるというのも、日本が無規範社会だからだ。ガチガチの規範社会であるイスラーム圏や米国の宗教保守が強いレッドステート(保守的な州)なら、こうはいくまい。

とは言っても、LGBTの法的権利がまだ十分に保障されていないことをもって「日本は全然LGBTに寛容なんかじゃない!」と言う人も、リベラル左派を中心に、いるかもしれない。

これは間違いだ。「日本はLGBTに寛容だからこそ、彼らの法的権利の保障が遅れた」とみるのが正しい。そう主張しているのが、ジェンダーの研究者で自らも女装者である三橋順子さんだ。

「彼女」の主張をまとめると、こうなる。LGBTに不寛容なキリスト教の伝統が根強い欧米諸国では、LGBTは一致団結して権利獲得のために戦わなければ生き残れない。だからいち早く彼らの法的権利が保障されるようになった。

その点、日本はなまじLGBTに寛容で、言うなれば「ぬるま湯」のような環境だったために、彼らは政治闘争へと動機づけられることがなく、結果として法的権利の保障が遅れた、というわけだ三橋順子『女装と日本人』講談社現代新書

 

…なんだか随分とアクロバットな論理のように見えるかもしれない。だが、社会学を勉強したことのある人ならこの話を聞いてすぐに思い出すはずだ。ドイツの社会学マックス・ウェーバーが、金儲けを「固く禁じる」文化圏においてこそ資本主義が誕生すると指摘したことを。

宋代中国では貨幣経済が高度に発達していた。にもかかわらずかの国に資本主義は生まれなかった。中国は金儲けを「禁じていなかった」からだ。逆に金儲けを固く禁じる西欧のプロテスタント圏においてこそ、資本主義は力強く勃興したのである。

世界史は、このように逆説に満ちているのだ。