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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第99回)

・『ノスフェラトゥ

以前このブログでもご紹介した『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク作品。監督は『フィツカラルド』で有名なヴェルナー・ヘルツォーク

旧作『吸血鬼~』は1922年制作の白黒サイレント作品なので、現代との演出方法の違いに戸惑うことが少なくなかった。たとえば吸血鬼の住む恐ろしい別世界を表現するために、白黒反転やコマ落とし(早送り)などの手法を用いているが、白黒反転はともかくコマ落としは、現代の我々が見るとむしろコミカルな印象を抱いてしまう。

その点、本作は1979年制作のカラー作品なので、現代の映画に見慣れた観客はこちらから先に見て、それから旧作を見るといいかもしれない(物語の大枠は同じです)。

主演女優のイザベル・アジャーニは、あまりに美しすぎてむしろ気味が悪いほど。部屋のなかで吸血鬼と鏡越しに対面する場面などは、吸血鬼よりもむしろ彼女の顔のほうが怖いくらいだった(;^_^A

 

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・『大陸横断超特急』

LA発シカゴ行きの大陸横断鉄道に乗り込んだ出版業者の主人公。ところが車内にて偶然にも殺人事件を目撃してしまい、そのせいで国際犯罪組織から命を狙われることとなる…

普通このテの映画では、たとえ敵に突き落とされても、主人公はなんとか列車にしがみついて離れないものだが、本作の主人公は実に合計3度(!)も敵に突き落とされて沿線に落下してしまう。そのたびに近隣の人々に助けられ、なんとかして列車に追いつき、再乗車を果たす。これまでの映画の定跡から意図的にズラしているわけだ。

全編にわたりコミカルな演出が楽しいが、ラスト、暴走機関車を駅のホームに突っ込ませるのはさすがにやり過ぎ。何でもかんでもぶっ壊せばいいってもんじゃないよ。アメリカ映画の悪い癖ネ。

 

 

・『テレフォン』

冷戦時代のアメリカ。

善良なアメリカ市民であるはずの人間たちが、ある日受けた謎の電話のせいで一種の催眠状態にかかり、石油プラントなどの要所で自爆テロを起こすという事件が次々と発生する。

彼らの正体は、なんとソ連工作員。普段は自らが工作員であることすら忘れ果て、米国社会に溶け込んで生活しているが、ある決まったセリフを聞かされるとたちまち催眠状態になってそのまま自爆テロを引き起こすよう、KGBによって催眠術をかけられていたのだ。

今回、電話越しにその「決まったセリフ」を聞かせた犯人は、デタント(米ソ緊張緩和)を望まない、ソ連タカ派軍人であった。彼は、相次ぐ自爆テロによって米ソ関係を意図的に悪化させようと目論み、独断で行動していたのだ。

彼の単独行動を察知したKGBは、これ以上の自爆テロを阻止するべく、新たなエージェントチャールズ・ブロンソンを米国内へと送り込む。

というわけで、本作はソ連のエージェントアメリカ国内ソ連タカ派軍人と戦うというアメリカ映画である(あぁっ、なんてややこしい!)

爆発シーンは迫力満点だけど、例によってKGBの幹部連中がモスクワ本部でも英語を話すのはなんとかなりませんかね。

 

 

・『メル・ブルックスの大脱走』

第二次大戦勃発直後のポーランドを舞台に、反ナチスの劇団があれやこれやと東奔西走し、最後は団員みんなで英国に亡命するというコメディ映画。

本作を見ていて、全体主義(ナチズム)に真に対抗できるのは怒りではなく「お笑い」だという思いを強くした。

 

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・『バニシング・ポイント

どういうわけだか米西部の砂漠地帯を自動車で爆走し続ける主人公。はじめのうちは彼の経歴には一切触れられず、ただひたすらドライビングシーンのみが淡々と描かれるが、次第に彼が軍人上がりの元警察官であり、その後レースドライバーなど職を転々として今日に至ったことなどが明らかにされていく。

「交通規則?何ソレおいしいの」と言わんばかりに爆走を続ける主人公を逮捕すべく、警察が徐々に包囲網を狭めていくが、爆走する主人公を自由のシンボルとみなして応援するラジオDJなども出てきて、彼は一躍、時の人となる…。

本作が制作されたのは1971年。このブログでも何度か触れているように、「60年代特有の解放感(開放感)」がまだかろうじて残っていた時代だ。

僕は、実を言うと、反抗することが自己目的化した人間が死ぬほど嫌いなのだが、本作の主人公のことはどういうわけだか嫌いになれない。それどころかむしろ共感すら覚える。不思議なことだ。

おそらくは彼の反社会的な行動よりも、その内面にあるニヒリズムにこそ共鳴するからだろう。

ラストシーンは、客観的に見ればバッドエンド以外の何物でもないのだろうが、なぜか不思議と清々しさに満ちていて、僕は笑ってしまった。