Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

なぜ映画評を書き続けるのか

本ブログの読者の皆様はよくご存じのとおり、僕は定期的に映画の感想を書くことにしている。また明日にでも映画の感想をアップロードするつもりだ。

 

どうして映画評…というか、文章を毎日こつこつ書くようにしているのかというと、これは以前にも書いた記憶があるが、まず①思考を可視化するため。頭のなかで漠然と思っていることを、実際に目に見える形にすることで、論理的に思考することができるようになる。よく誤解されることだが「論理的思考ができないから書けない」のではなく「書くことで論理的思考をできるようにする」のである。

続いて、②考えたことを忘れないようにするため。人間の記憶力というのは実にあやふやなもので、放っておくとすぐに忘れてしまう。そこでメモというか、備忘録が必要になる。このブログだって、ほとんど備忘録のつもりで書いているものなのだ。

コピーライターの糸井重里氏―僕にはこの人はどうも過大評価されているように思えてならないのだが―は、風呂のなかでアイデアを思いつくと、忘れないよう直ちに風呂から上がってメモを取るのだと聞いたことがある。本人曰く「思考への敬意」なんだとか。まぁこれは極端な例だとしても、なにか思いついたらちゃんとメモを取っておくと、何かと得なことが多い。

そして、③文章力の強化。

文章力をつけるには、実際に文章を書いてみることである。当たり前のことのように思えるかもしれないが、これは映画評を書くときに本当に痛感することでもある。

僕は映画評を書くときに、なるべくその作品のあらすじも紹介するようにしている。あらすじを書くというのは、案外難しい。やや込み入った内容の映画を、誰にでもわかるよう、簡潔にまとめなくてはいけない。登場人物の言動に矛盾があると誤解されてはいけない。シンプルに、それでいてちゃんと「筋」道だった、あら「すじ」を書かないといけないのだ。

 

前回書いた映画評では、『テレフォン』のストーリーがわりと複雑で、あらすじを書くのにかなり難儀した。読んだ人がちゃんとこの作品の内容を理解してくれたかどうか、正直言うといまだに自信がない(;^_^A

それでも、こうやって書く経験を着実に積んでいくことで、人間の文章力は上達していくのである。

今後も頑張ります。