Furusawa Keisuke's blog

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まさかの「超高速関ヶ原」―『真田丸』これまでの感想

先日9月15日は、関ヶ原の戦いが行われた日だった(※ただし旧暦での日付)

ちょうどこの日に合わせたかのように先週末放送されたのが、大河ドラマ真田丸』の関ヶ原合戦を描いた回だ。

この回は、ネット上では結構な話題になった。どうしてか。

「天下分け目の大戦」である、あの関ヶ原の合戦シーンがたったの40秒で終了し、真田家の忍びである佐助が合戦結果を信繁たちに報告する、という形でその回はあっけなく幕を下ろしてしまったからだ。

「…え、関ヶ原が…あの関ヶ原が、たった40秒で終了!?」とネット界が騒然となったことはいうまでもない(;^_^A

 

もちろんこれも、脚本家・三谷幸喜にとっては計算のうちである。『真田丸』の主人公は、真田家。真田家に直接関係のないシーンは、たとえそれが本能寺の変関ヶ原の戦いといった歴史的大事件であっても、原則として描かれることはないのだ。そのルールはここでも徹底している。

だが、狙いはそれだけではない。関ヶ原の戦いの「あっけなさ」を我々視聴者に再認識させようとしたのだ。

今日、我々は日本史の教科書で「関ヶ原の合戦小早川秀秋の裏切りにより、1日で東軍の大勝利に終わった」と結果だけ教えられるので、その「1日」(実質半日)という時間のあまりの短さになかなか気づかない。

だが、『真田丸』劇中の直江兼続も言っていたように、当初、天下分け目の大戦である関ヶ原合戦は必然的に長期戦となり、1ヶ月、2ヶ月どころでは終わらない、場合によっては年をまたぐ可能性すらありうると考えられていた。

すると納得できるのが、先ほど述べた佐助の戦況報告シーンだ。真田家の武将たちは当初、第二次上田合戦の勝利に酔いしれ、佐助の報告をろくに聞こうともしなかった。なぜか。まだ関ヶ原の戦いは最序盤であり、佐助は単に途中経過を報告しに来たものとばかり思っていたからだ。

ところが佐助の口から出てきたのは「東軍大勝利、大谷戦死、石田行方不明」という衝撃のニュースだった。

こうした演出により、関ヶ原の戦いの予想外の「あっけなさ」を、真田家の人々に、そして彼らを通して我々視聴者にも、伝えようとしたのだ。

…いやぁ、三谷さん。アナタ天才(^▽^;)

 

さて、『真田丸』、関ヶ原合戦までの見どころとして僕が注目したいのは、合理的な思考のできる人たちが、にもかかわらず非合理的にふるまったという点だ。

真田丸』において、石田三成直江兼続は「非常に合理的かつ現実主義的な思考のできる、行政官僚タイプの武将」という点で共通していて、互いに互いを評価してもいた。

だが、ここが面白いところで、ものすごく合理的な人間にとって、合理的にふるまう理由それ自体は極めて非合理的なものなのだ。

ちょっと難しいが、たとえばこういうことだ。

石田三成の場合、「秀吉との絆」が合理的にふるまう理由である。ぱっぱと仕事をこなすのも、天下取りを狙う(ように見える)徳川家康を敵視するのも、すべては秀吉のため。そして「秀吉のため」という理由それ自体は非合理的・感情的なものだ(べつに他の大名に仕官したっていいいのに…)

直江兼続の場合は「景勝との絆」。上杉家の家臣として非常に合理的に、かつ現実主義的にふるまうのも、すべては御屋形様(景勝)のため。だからこそ、当初は現実主義の観点から徳川との戦いに反対したものの、最後は「御屋形様がこれ以上苦しむのを見たくないから」という理由で徳川に反旗を翻したのだ。こちらも「御屋形様のため」という理由それ自体は非合理的・感情的なものだ(べつに北条に、伊達に仕官したっていいのに…)

これらふたりとはまたちょっと違うが、大谷吉継にも似たところがある。大谷の場合、石田・直江ほど理屈っぽくはないけれど、現状を見て合理的な判断を下せたにもかかわらず、また徳川とも親しかったにもかかわらず、あえて最後は親友・三成との友情(=非合理)を選んだという点、すなわち「最後は非合理的にふるまった」という点において石田・直江と共通しているのだ。

 

このように、合理的な性格でありながら最後は非合理を選び、それゆえに歴史から退場していった敗者たちを温かく描いた作品が、『真田丸』なのだ。

ここでも三谷幸喜の筆は、どこまでも冴えている。