Furusawa Keisuke's blog

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書評『ファシズムの誕生―ムッソリーニのローマ進軍』

この国の書店では、ファシズムを扱った本が、驚くほど少ない。

 

…と言おうものなら、ただちに反論が矢のように押し寄せてくるだろう。

「何言ってんだ! 表紙にヒトラーが描かれてる本なんていくらでもあるだろうが!」

違うのである。ナチズムじゃなくて、ファシズム。ドイツじゃなくて、本家本元のイタリアのファシズムを取り上げた本が少ない、と言っているのだ。

 

今回ご紹介するのは、日本語圏では珍しくイタリアのファシズムを正面から取り上げた大著、『ファシズムの誕生―ムッソリーニのローマ進軍』。

ムッソリーニのローマ進軍」というサブタイトルから分かるように、本著は第一次世界大戦におけるイタリアの“連合国としての”参戦(1915年)からローマ進軍(1922年)までの歴史を、編年体のスタイルで記述している。

と~っても分厚い本で(600ページ以上あります)、もちろんファシズムに批判的な立場から書かれた著作なのだが、自ら「ファシスト」を名乗る革命家の外山恒一氏は、本著を読んでファシストへの転向を決意したというのだから、なんとも皮肉な話である。

 

本著を読んでいると、ファシズムに対する印象が変わってくる。

ファシスト党およびその前身のイタリア戦闘者ファッシは、ムッソリーニによる独裁体制のように思えるが、実際には結構ユルいネットワークで、闘争を現場で指揮する幹部たちのなかには、ムッソリーニに不信感を抱く者、勝手に動く者も結構多かったというのだから驚かされる。

 

本著を読んでいてもうひとつ驚かされるのが、1920年代のイタリアのあまりのフリーダムぶりだ。

なんてったって、ファシストたちが大砲まで持ち出して完全武装し、「懲罰遠征」と称して地方自治体の革新派の首長たちをどんどん襲撃しにいくのだ!

しかもそんな暴挙を警察は止めようとしないばかりか、むしろ裏で支援すらしていたというのだからもうメチャクチャである。

1920年代のイタリア、もはや近代国家としての体をなしていない。

こんなハチャメチャな状態に比べたら、2010年代の日本における在特会vsしばき隊の対決なんてカワイイもんだということが分かるのである。

 

さて、ここでみなさんにひとつ、問いかけをしたい。

ファシストとは、いったい何者か。

それは、天下泰平の世に耐えられない人間だ。常に戦乱の世を希求してしまう人間のことだ。大河ドラマ真田丸』でたとえるなら、真田昌幸のような人間である。

こういう、乱世の中でしか己の生きがいを見いだせないという人間は、いつの時代にも必ず生まれてくる。そういう人間たちがファシストになるのだ。真田昌幸も、16世紀の日本でなく20世紀のイタリアに生まれていたら、あるいはファシストになっていたかもしれない。

そういう意味では、ファシストは現代でも誕生しうる。

以下は、本著あとがきからの抜粋

≪そのファシズムが人類にどれだけの災厄をもたらしたか、それを打倒するためにどれだけの犠牲を払わなければならなかったかは、今日よく知られているし、またそのことは、いくら強調してもしすぎることはない。だが、ファシズムに対する憎悪に目がくらんで、その本質的な特徴を見落とし、あるいは見誤り、単なる政治的反動や軍事独裁と混同し、政敵や憎たらしいものを何でもファシスト呼ばわりしていると、本当のファシズムが新しい装いで再び出てきたときに、正しく対処することはできないだろう。

あるいはもうすでにわれわれのまわりで新種のファシズムが、それとは知られずに生育増殖を続けているかも知れないのである。≫(652頁)

著者の見解に、僕も同意したい。

我々はまず、ファシズムを知るところから始めなければならない。

 

 

 

…あ、書き忘れてたことを最後に。著者の藤沢道郎さん、文章うまいですw

分厚い本で結構専門的な内容なので冒頭部分は眠くなるんだけど(w)、ところどころで皮肉がピリッと効いているので読者を飽きさせません。最後はサスペンス作品のようなスリリングなタッチでローマ進軍を描き切ります。

純粋に、読み物としても面白いですよ。

 

ファシズムの誕生―ムッソリーニのローマ進軍

ファシズムの誕生―ムッソリーニのローマ進軍