Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

「ポスト宮崎駿」―新海誠作品を振り返る

アニメ映画『君の名は。』の快進撃が止まらない。

増える一方の興行収入は、12月に入りついに200億円(!)を突破。あのジブリの『ハウルの動く城』を上回り、ついに『千と千尋の神隠し』の大記録308億円も射程に入ってきた。

海外でも人気沸騰だ。

中国では公開からわずか3日で42億円を記録。米国では、アカデミー賞の前哨戦とされるロサンゼルス映画批評家協会賞のアニメ賞を受賞。英国でも、The Guardian、EMPIRE、The Telegraph の大手3誌がそろって5つ星の最高評価を与えた。

 

飛ぶ鳥を落とす勢いの『君の名は。』。監督は、アニメ界の新しきホープ・新海誠さんだ。

僕が新海さんというアニメ作家の存在を知ったのは、彼の代表作『秒速5センチメートル(07年)を見たときだった。その美しく色鮮やかな背景描写にいたく感激した僕は、たちまち彼のデビュー作『ほしのこえ(02年)と『雲の向こう、約束の場所(04年)も鑑賞したのだった。

その当時から、彼のアニメ作家としての手腕・力量はもちろん高く評価してきたが、その一方、どうしても気になる部分もあった。

なんというか、筋の悪い村上春樹読者(※)にありがちな「童貞臭さ」が作品中に充満しており、それが玉に瑕となっていたのだ。

※新海さんは、大の村上春樹ファンとして知られている。

具体例を挙げれば、『秒速~』における主人公の「ヒロインのことを思いながら、宛先の無いメールを延々と打ち続ける」的なイタい自意識がそれである。

 

そうした作風が変化し始めたのは、今思えば『星を追う子ども(11年)のころからだった。

新海作品としては初めて、子供向けのファンタジーとして制作された『星を追う~』は…まぁ言っちゃ悪いが、「劣化版ジブリ」といった印象で、僕は正直あまり感心しなかった。

だがこの時期こそ、新海さんにとっては自らの作風を変える移行期だったのだろう。

僕が本格的に「あぁ…新海さん、変わったんだな」と感じたのは、『言の葉の庭(13年)を見たとき。

ヒロインのキャラクター造形が、とてもリアルだと感じたのだ。

それまでの新海さんの作品に登場する女キャラというのは…たとえば『雲の向こう~』のヒロインは、「性格は非常に明るいが、どこか儚げな」病弱の美少女という、もう見るからにオタク受けしそうなキャラで、「こんな女、新海監督の脳内にしか存在しねーよwww」と思わずツッコミを入れたくなるような女であった。

それに対して『言の葉~』のほうのヒロインは…たとえば自宅でファンデーションをうっかり落としてしまう。拾って見たらファンデは割れていた。それを見て、涙を流す彼女…。

「いや、ファンデ割ったくらいでいちいち泣くか?」と思われるかもしれないが、彼女は職場でイジメに遭って休職中。精神が不安定な状態なのだ。そのことを、このファンデのシーンが効果的に表現しているのである。

 

『言の葉~』、DVDでは特典として新海さんのインタビュー映像も収録されている。そこで、新海さんは非常に興味深いことを言っている。

主人公の少年は、靴職人になるのが夢である。

↑この設定は、どこから来たのか。

新海さんは最初から主人公を、何かを作ることにあこがれる少年として描きたかったという。ではなぜ靴なのか。

靴をつくるには、相手の身体の寸法を測る必要がある。つまり、現実に存在する女性の姿をちゃんと見る必要がある。だから主人公を靴職人志望という設定にしたのだ、と。

この言葉を聞いたとき、「あ、新海さん、やっぱり変わったんだ」と確信した。彼は、かつてのようにオタク的妄想を膨らませてヒロインのキャラを造形するのは、もうやめたのだ。

現実の、生身の女性を描くようになったのだ。

こうして初期作品群に通底していた「童貞臭さ」と決別したおかげで、新海さんは「オタク層から支持される、ややマニアックな映像作家」の域を超え、宮崎駿以来の国民的アニメ監督への道を歩み始めたのだ。

 

君の名は。』の記録的大ヒットにより、すでに欧米の批評家たちの間では、新海さんを「ポスト宮崎駿」と推す声が上がっているという。

作風が似ている、という意味ではないだろう。作風まで無理やり似せることなどできないし、またそれを目指すべきでもない(『星を追う~』の蹉跌からも、それは明らかだ)

彼らが言いたいのは、宮崎駿のようにヒット作を次々生み出せる才能は、今の日本に新海さんしかいない、ということだろう。それなら僕も同感だ。

アニメ監督・新海誠―彼ならきっと「ポスト宮崎駿」になってくれるはずだ。