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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

運命は勇者に微笑む

昨日は、アニメ監督の新海誠さんの話をした

昨日の話をまとめると、こうなる。

デビュー作『ほしのこえ』から『秒速5センチメートル』までの新海さんの作品には、「病弱な美少女ヒロイン」などのいかにもオタク的な想像力や、村上春樹ファンにありがちな「童貞臭さ」が、どうしても付きまとっていた。

ところが、『言の葉の庭』のあたりから、彼の作風に明確な変化が現れた。上述の「童貞臭さ」が払拭され、男性オタク層だけでなく、老若男女問わず幅広い層から受け入れられる作風へと変化したのだ。これにより、新海さんに宮崎駿以来の国民的アニメ監督への道が開かれた。

自らの作風を変えたことで、彼は新境地を切り開いたのだ。

 

ここで思い出されるのが、新海さんとも比較的世代の近い、アニメ監督の宮崎吾朗さんだ。言わずと知れた、あの宮崎駿監督の息子さんである。

彼の記念すべき監督デビュー作が、『ゲド戦記(06年)であった。

いやぁ、この映画はスゴかったw 僕のまわりで、この作品を褒めた人がひとりもいないw

ふつう、どんなに評判の悪い映画でも「いやぁ~、あの映画のことはみんなボロクソに言うけどねぇ、実を言うと僕は、あれって結構いい映画だったと思ってるんだよ~」と言って褒める人が、ひとりくらいはいるものだ。

だが、あの『ゲド戦記』に限っては本当に、僕の知っている評論家や身の回りの映画ファンたちの10人中10人が、クソだと言っていた。そういう意味では、スゴい映画だった。

酷評された原因は明らかである。

典型的なセカイ系作品であり、うじうじした主人公がヒロインに承認されることで世界が救われるという安直なストーリーが集中砲火を浴びたのだ。

 

そんな吾朗さんが次に監督をつとめたのが『コクリコ坂から(11年)。まだ『ゲド戦記』の悪夢が冷めやらぬ時期だったので、あの吾朗監督の作品と聞いてとても心配したものだけど、実際に見てみたらビックリ! 『ゲド戦記』とは打って変わってさわやかな、後味の良い映画だった。

少なくとも00年代後半以降のジブリ映画の中では一番の出来映えだ。個人的には、彼のお父さんの『風立ちぬ(13年)よりも好きなくらいである。

こちらの成功理由も明らかだ。『ゲド戦記』にあれだけ充満していた「だれかボクのことを承認してよ~」という承認欲求がなくなったからである。

僕が思うに、きっと吾朗さんは『ゲド戦記』以降、自らに投げかけられた批判に真摯に向き合ったのだろう、そのうえで自らの作風を変えていったのだろう。

「批判に真摯に向き合う」というのはまさに「言うは易く行うは難し」の最たるものだ。だがそれができて初めて、人は次のステップへと進むことができるのである。

 

これは、実は政界でも同じことなのだ。

安倍さんだってそう。彼の第1次政権は無残に終わってしまったが、彼は自分の失敗をちゃんと反省したのだ。

どうして政権がもたなかったのか。経済を軽視したから。それじゃあまたチャンスが回ってきたら、今度は日本経済の立て直しを優先課題に挙げよう。具体的にはどうするか。よし、リフレーション政策を採用しよう。

…こうして誕生した第2次安倍政権は、近年では稀に見る超安定政権となった。

 

人間は、変われるのだ。変わりたいという意思と、自らへの批判に真摯に向き合う勇気がある限り。

そうして自らを変えることのできた人間に、運命の女神は微笑むのだ。

最後に、将棋の羽生善治さんの名言をご紹介して、本稿を締めくくりたい。

 

「運命は勇者に微笑む」羽生善治