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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『日本人のための憲法原論』

一見すると難解で、我々庶民には無縁のもののようにも思われる、社会科学。

そんな社会科学を、わかりやすく、かつ親しみやすい文体で解説してくれるのが、社会学者の小室直樹先生(1932‐2010)による『原論』シリーズだ。

 

原論』シリーズは、『数学言論』『宗教原論』『イスラム原論』など数多く刊行されている。可能であれば、すべて読破するのが望ましい。

…とは言っても、ひと昔前の本だから書店に置いてあるかどうかわからないし、なにより忙しくて読む暇なんてない、という人も多いだろう。

そんな忙しい人には、今回ご紹介する『日本人のための憲法原論集英社インターナショナルをお勧めしたい。

憲法原論』と銘打ってはいるが、本著が取り上げているテーマは、憲法だけにとどまらない。憲法は市民社会の柱であり、憲法がまともに作動しなければ社会は機能不全に陥る、という考えにもとづき、著者の小室先生は近代社会全般について本著のなかで論じていくのである。

本著では、民主主義の歴史の話が出てくる。経済学(と数学)の話も出てくる。田中角栄元首相のロッキード裁判の話も、後述する「天皇教」の話までもが出てくる。

そう、本著は小室先生のこれまでの著作の、いうなれば集大成的な作品なのである。

 

出てくるのは、どれこもこれも、目から鱗が落ちるような話ばかり。

ひとつ、例を挙げよう。刑法の話だ。

刑法とはいったい、誰を縛るための法律なのだろうか。

我々庶民はどうしても、刑法は被告人を縛るための法律なのだと思ってしまう。だが、それは違う。刑法は、驚くなかれ、裁判官を縛るための法律なのだ。

例えば、私、古澤圭介が外患誘致罪で有罪判決を受けたとする。刑法は外患誘致罪の法定刑を死刑と定めている。では刑法は、被告人・古澤圭介に対して「お前は死刑になれ!」と命じているのだろうか。

違う。刑法は被告人・古澤圭介を死刑にするよう“裁判官に対して”命令しているのである。

…どうです、目から鱗が落ちたでしょう?w

 

このように、現代日本人のほとんどが抱いている誤解を、快刀乱麻を断つがごとくバッサバッサと切り捨てていく小室先生。彼が本著の巻末で述べるのが、「天皇教」の話だ。

天皇教」とは、明治政府が天皇を神格化することで作りだした、新しい宗教のことだ。

「え、それって神道のことじゃないの?」と思われるかもしれないが、小室先生は、明治維新以降、国家権力が神社に介入してその儀式ばかりか教義に至るまで変更してしまったことから、天皇教は神道とは別物であり、≪江戸時代までの神道は明治になって消え失せたと言ってもいいぐらいです≫(389頁)とまで言っている。

そしてその天皇教こそが、日本における民主主義の礎となったのだ。

欧米においては、キリスト教が民主主義の礎となっている。キリスト教がもたらした「神の前での平等」などの観念が、民主主義を生んだのだ。

キリスト教が民主主義の礎であることに気が付いたのは、伊藤博文だった。日本は、当然ながらキリスト教国ではない。そこで伊藤がキリスト教に相当するものとして「発明」したのが、天皇教だったというわけなのだ。

天皇教は、「神の前での平等」ならぬ「天皇の前での平等」という観念をもたらしたことで、日本における民主主義ー当時の日本人は天皇に配慮して「民本主義」と呼んでいたがーの礎となった。

ところが、この天皇教を破壊してしまったのが、GHQだ。彼らは、天皇教こそが日本の民主主義の礎であることに気づかず、天皇教はむしろ民主主義の発展を阻害するものだと決めつけて、これを破壊してしまった。

小室先生は、このGHQによる天皇教の破壊によって、社会学でいうところの急性アノミー(権威の否定)が発生、それが今日の日本社会の混乱の元凶であるとしている。

 

…ここまで書けば、どうして天皇誕生日である今日、この本の書評を書いたのか、わかっていただけることだろう。

確かに、今日ではもはや戦前のような天皇教の復活は不可能。

だが、これだけは覚えていてほしい。今日では、天皇およびその制度を批判することは自由だ。だがそうした自由を保障してくれる近代社会は、日本においては天皇教のおかげではじめて成立することができたのである。

 

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論