Furusawa Keisuke's blog

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ここがスゴイ!『帰ってきたヒトラー』

先日の記事で、ドイツ映画『帰ってきたヒトラー』について少しだけ触れた。

今月に入って見た映画のなかで、一番面白い映画だった。あんまり面白いものだから、2回も見たほどだ。今年に入って、同じ映画を2回見たのは、塚本晋也監督『野火』以来である。

 

『帰ってきたヒトラー』、冒頭からしてエンジン全開だ。

なにせヒトラーが、マナー教室の講師相手に「最近の奴らはナチス式敬礼も満足にできないんだ…」と愚痴るシーンから始まるのだ。こんなの卑怯だよwwwwwwwww

そしてタイトルを挟んで本編へ。

1945年の世界から突如、ヒトラーがタイムスリップしてきた。ご本人も、何が何だかさっぱり理解できていないご様子。ブランデンブルク門周辺をうろついていて、不審者と間違われ痴漢撃退用スプレーをかけられるなど、冒頭から散々な目に遭う総統。

やがて新聞の売店を見つけ、ここが2014年の世界であることをようやく理解。しばらくの間、その売店に居座る。新聞を通じて現代の情報を収集したり、店主から「軍服が臭い」と指摘されてやむを得ずそれをクリーニングに出したり、となかなか忙しい総統。

やがて、ヒトラーのモノマネ芸人と勘違いされた彼は、まさかのテレビ出演を果たす。“ご本人によるモノマネ芸”はたちまちユーチューバーたちの間で話題となり、ヒトラーは一躍ドイツ中の人気者となる…。

 

面白いのが、ヒトラーがネオナチを徹底的にこき下ろす一方で、意外にも緑の党を持ち上げることだ。

ネオナチとは、ナチスの後継者を自称する勢力のこと。ネオナチが生まれたのは第二次大戦後のことだから、実際のヒトラーは当然、彼らの存在を知ることはなかった。

が、ナチスの幹部のひとりであったルドルフ・ヘス(1894‐1987)は、晩年、このネオナチのことを「正統なナチズムの歪曲や誤解の産物」と呼んで批判していたという。ならば、劇中のヒトラーが同様にネオナチを嫌うのも、決して不自然ではないわけだ。

一方、緑の党は、一般には左寄りの政党とみなされているので、極右政治家たるヒトラー緑の党を持ち上げるのは、いささか意外な感じがする。

だがこれも、実はそうとも言えないのだ。

エコロジーの思想的な基盤として、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケル(1834‐1919)の寄与が指摘されている。このヘッケル、一方で種の優生学的保存など社会ダーウィニズム的な主張もしており、これがホロコーストを支える理論的な根拠として扱われた。驚くなかれ、エコロジーナチスは、ヘッケルという共通項でつながっていたのだ。

ドイツの同盟国であった我が日本でも事情は似ていて、いわゆる「天皇ファシズム」を支えた勢力のひとつに、農本主義がある。農本主義≪立国の基礎を農業におくことを主張した思想もしくは運動≫wikipediaであり、当然その発想は現代のエコロジーにも通じる。

意外にも、ファシズムエコロジーは相性が良かったのだ。ヒトラー緑の党を持ち上げるのも、それゆえ決して不自然とは言えないのである。

 

さて、ヒトラーは劇中、ネオナチ政党・ドイツ国家民主党(ショボい)本部へと乗り込み、党首との面会を求める。現れた党首は、言っちゃ悪いが、見るからにオーラのない凡庸な男である。

ヒトラーとの会談を通じて、彼はどうやら『我が闘争』すら読んだことがないらしいことが明らかになる。「こんな奴じゃ話にならん!」とヒトラーはさっさと会談を切り上げてしまう。

本部内では、若い党員たちが「今日のお料理コーナー」的なネット番組を撮影している最中であったが、ヒトラーはこれにもご立腹。

「インターネットは、神がプロパガンダの道具として我々ドイツ民族に授けてくれたものなのだぞ! こんなくだらない番組のために利用するやつがあるか!」とキレまくるのだw

確かに、ヒトラーには新しいもの好きという一面があり、1930年代当時の先端テクノロジーであったラジオや飛行機などをふんだんに政治活動に活用していた。そのヒトラーであれば、現代の先端テクノロジーたるインターネットに着目するのも当然、というわけだ。

本作におけるヒトラー、とにかくネットが大好きである。なにせ、facebookで親衛隊隊員を募集するというのだから、笑ってしまう。

 

ヒトラー役の俳優オリヴァー・マスッチが、一見似ているようで、よく見ると微妙に似てない、というのもまた、本作のポイントのひとつだろう。彼よりもっと似ている役者を探そうと思えば、いくらでも探せたはずである。

もちろん意図した結果だろう。あんまり似すぎていると、「似すぎる」こと自体がギャグになってしまい、他の内容が観客の頭に入りづらくなってしまうからだ。

だがもちろん、似ているところはものすごく似ている。

本作中盤、ヒトラーがテレビ番組にて演説するシーン。ステージに立ったヒトラーは、なかなか演説を始めようとしない。「さては緊張のあまり頭が真っ白になったか」と焦るスタッフたち。

だがもちろん、演説の天才がそんなヘマをするはずがない。ヒトラーは、観客が静かになるまでは演説を始めないのだ。NHKスペシャル『映像の世紀』第4集を見たことのある人なら、すぐにピンとくるはずだ。

演説の間、Rを巻き舌で発音するのも良い。

日本人には意外と知られていないことだが、ドイツ語でのRの発音はフランス語でのそれと同じである(うがいをするときのような音)。だがオペラや政治演説などでは、Rを巻き舌で発音することがあり、ヒトラーの実際の演説でも巻き舌が聞かれる。

本作でもヒトラーは巻き舌で「インテ“ル”ネット」(Internet)とか「スタ“ル”バックス」(Starbucks)と発音しており、そこが笑いのポイントとなっているのだ。

 

本作を制作しているのは、コンスタンティン・フィルムという会社。

実を言うと、『ヒトラー ~最後の12日間~』を製作したのも、この会社である。そのためか、「総統閣下がお怒りのようですシリーズ」でおなじみの“あのシーン”もちゃっかりパロディ化されている。思わずニンマリとさせられる演出だ。

 

…さて、先日の記事でも書いたとおり、本作は公開されるタイミングがまことに秀逸であった。移民・難民問題をめぐってドイツ中が揺れに揺れている今だからこそ、本作のテーマが強いアクチュアリティを持ったのである。

本作は、疑似ドキュメンタリーの形式をとっている。だが、ヒトラーがドイツ中を回って街の人たちと対話するシーンは、明らかに台本がない。街の人たちは、ヒトラー(を演じるマスッチ)をただのモノマネ芸人だと思い込み、安心して“本音”を語りだす。

その本音とは、「外国人の子供が石を投げつけてきてウザい」「イスラーム系移民はさっさと国へ帰れ」といった、排外主義的なもの。

…本作は、ただの疑似ドキュメンタリーではない。一部は“本物の”ドキュメンタリーなのだ。本作は、娯楽映画としてだけでなく、ドキュメンタリー映画としてもまた、非常に優れた作品なのである。

 

 

原作小説もどうぞ

 

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

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帰ってきたヒトラー 下 (河出文庫)

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