Furusawa Keisuke's blog

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書評『日本国憲法の問題点』

今回も、社会学者・小室直樹先生(1932-2010)著作を取り上げる。

だがその前にひとつ、読者の皆さまに質問をしたい。

 

日本国憲法において、最も重要な条文は何だと思いますか?

 

…おそらく、ほとんどの方は「9条!」と答えるかと思う。

残念ながら、ブッブーである。

正解は、第13条。

 

…と言っても、おそらくほとんどの方にとっては「え、13条って、何が書いてあったっけ!?」という話だろう。

日本国憲法第13条は、こういう条文です。

 

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

この条文の、いったいどこがどう重要だというのだろう。

 

そこでようやく、今回ご紹介する『日本国憲法の問題点』の話になる。

我らが小室先生にご説明いただくとしよう。少し長くなるが、極めて重要な箇所なので中略せずに引用する。

 

≪この十三条の規定はロックの社会契約説に始まる、言うなればデモクラシーの根幹とも言うべきものである。

 九条は事情変更の原則によって変更になることがあっても、この十三条の精神だけはデモクラシーある限り不滅である。そう言って間違いあるまい。

 さて、かりに九条の精神を徹底的に尊重すると言った場合、はたして十三条をどうするか。九条のために、十三条は犠牲にしてもよいのか。そこが問題になってくる。

 不戦の誓いを貫くために、国民がテロやゲリラ攻撃を受けてもそれを甘受すべきである。日本人こそ率先して平和の捨て石、人柱となるべきである。そう答えられる人がいたら、お目にかかりたいものである。

 近代デモクラシーの思想的元祖であるロックは、国民の自由や生命、幸福の追求(私有財産権)の権利を守らないような政府であれば打倒してもかまわないと言った。世界平和という抽象的な大義のために、国民の生命が奪われてもいいという考えをロックが知れば、何と言うであろう。

 こうやって論理的に考えていけば、いかに戦後日本の「第九条論争」が近視眼的であったかがよく分かろうというものだ。≫(246-247頁)

 

ゆえに、第13条こそ日本国憲法で、何が何でもこれだけは守らなければならない、これが有効でなくなったら憲法の存在意義なんて雲散霧消してしまうという条文≫(23頁)なのである。

 

小室先生の筆致は、本著でも相変わらず冴えまくっている。

たとえば、歴史「教育」と歴史「研究」は別物だという箇所。

戦前日本では、たとえば「天孫降臨」などの神話が歴史教育の場で教えられていた。今日の我々にとっては驚くべき話だが、当時の科学的歴史家の第一人者、那珂通世(1851‐1908)は、歴史教育と歴史研究は違うとして、これを是としたという。

歴史「教育」はあくまで、民族精神を確立させるためのものであり、これと科学的な歴史「研究」とは別物だというわけだ。

そして、≪戦前日本の歴史教育は、まさに現代アメリカにおける歴史教育とまったく同じ精神で行われていた≫(160頁)と小室先生は言う。なぜなら≪アメリカの教育では、アメリカ人としてのアイデンティティを持たせることに最大の努力を傾注する≫(160頁)からである。

 

※こうして見てみると、ある意味では戦前日本のほうが戦後日本よりもアメリカ的だったということが分かる。経済の世界にしてもそうで、「株式会社は株主のもの」だという意識は戦前のほうがしっかりしていたし、企業間の競争も労働者の転職も、戦後(昭和時代)より自由であった。もうひとつ付け加えると、戦前日本は銃規制が戦後よりもルーズであった。

 

日本人は、欧米や韓国・台湾などと比べると政治に無関心だとよく言われる。

僕が思うに、それは愛国教育を止めてしまったせいだ。

小室先生も本著のなかで指摘しているではないか。≪戦前には「お国のためにならない政治家」を暗殺する右翼や、国家権力に実力で対抗しようと考えた左翼が存在したが、そうした勢力は右も左も消えてしまった≫(169頁)と。

政府に立ち向かう自立した市民は、意外にも愛国教育によって涵養されるものだったのである。

 

日本国憲法の問題点

日本国憲法の問題点