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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『世紀末・戦争の構造』

僕は個人的に今月を小室直樹月間」と位置づけており、社会学者・小室直樹先生(1932-2010)の著書を積極的に読むよう心掛けている。

というわけで今日もまた、小室先生の本のお話(w

 

本日取り上げる『世紀末・戦争の構造ー国際法知らずの日本人へ』(徳間文庫)は、タイトルの通り、国際法をテーマにした著作だ。

にもかかわらず、冒頭から長々とキリスト教の話が語られるので、小室先生の本を初めて読む読者は面食らってしまうことだろう。

だが本当は、「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」なのである。

今日の国際法は、というか近代社会そのものが、キリスト教が生んだといっても過言ではないからなのだ。

 

本著は、まず第一章でキリスト教がいかにして近代という時代を準備したかが長々と語られ、続く第二章では、反対にキリスト教のライバルたるイスラーム教がどうして近代社会を作り出すことができなかったのかが説明される。

第三章では、ヨーロッパ絶対王政国際法を作り出した経緯が述べられ、第四章では、1991年の湾岸戦争を契機として従来の国際秩序が崩れたー途上国が列強=米ソの言うことを聞かなくなったーことが指摘される。

最後に、本著刊行当時(1997年)の時事問題であるペルー大使館人質事件における、日本政府ないしマスコミの見当違いの対応が俎上に載せられ、われわれ日本人の国際法オンチぶりが小室先生によって容赦なく批判される。うーん、(;^ω^)耳が痛いデス…

 

さて、個人的に面白いと思ったトピックは、国際法よりもむしろ冒頭のキリスト教の話だ。

宗教改革のふたりの旗手、ルターとカルヴァン。彼らの違いは、いったい何か。

 

ルターは、雷に打たれるような電撃的な宗教体験を経て、宗教改革のリーダーとなった。

…否、「雷に打たれるような」ではなく、実際に雷の直撃を受けたのである。この衝撃的な体験が、彼の宗教者としての原点なのだ。

そのためか、小室先生曰くカルヴァンとは違って、ルターの信仰は、深刻な宗教体験による。論理をつきつめてそこに至ったというのではない。ゆえに、ルターにおける予定説の論理は、終始、曖昧な部分を残す≫(76‐77頁)

ところがカルヴァンは違う。≪ルターとちがってカルヴァンは、深刻な宗教体験によってではなく、論理をつきつめることによって、その信仰に到達したのであった。ゆえに、カルヴァンの論理は透徹している≫(77‐78頁)

 

現代日本人のなかで、このカルヴァンに一番近い人物は、誰だろう。

僕が思うに、それはイスラーム法学者の中田考さん(1960‐)である。

中田さんの著作によると、彼はごく平凡な日本人の家庭に生まれ育ったが、幼少のころから一神教に惹かれ、その一神教のなかではイスラームが最も論理的だと感じ、ムスリムになったのだという。

先ほどの小室先生の言葉を借りれば、中田さんは論理をつきつめることによってムスリムとしての信仰に到達したのであって、深刻な宗教体験によってではないのだ。

中田さんは、「原理主義者」とすら言われるほどの、熱心なムスリムとして知られている。その彼が、理詰めだけであの境地にまで達してしまったのかーと、僕はその本を読んだとき強い衝撃を受けたのをよく覚えている。

宗教改革の巨人・カルヴァンも、中田さんと同じようにして「あの境地」へと到達したのかもしれない。