Furusawa Keisuke's blog

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書評『封印の昭和史―戦後50年自虐の終焉』

私は先月(1月)小室直樹月間」と位置づけ、社会学者の小室直樹先生(1932-2010)著作を集中的に読み続けてきた。

それらの著作の多くについて、このブログで書評を書いてきたが、実を言うとまだ2点、書評を書いていない著作がある。

今日はそのうちのひとつ、小室直樹先生と評論家の渡辺昇一氏(1930‐)の対談本『封印の昭和史ー戦後50年自虐の終焉』徳間書店を取り上げることにする。残るもうひとつの著作については、また次の日に書評を書くつもりだ。

 

さて、本著において小室、渡辺両先生はまず、いわゆる「南京大虐殺」説を批判。

中国政府のいう犠牲者30万人という数字は疑わしく、また殺害行為があったとしても、国際法便衣兵(ゲリラ)に捕虜としての地位が認められておらずその殺害が合法とされている以上、当時の日本軍に問題はなかったとしている。

つづいて俎上に載せられるのが、いわゆる「東京裁判史観」だ。

東京裁判ー正確には「極東国際軍事裁判」ーによって「戦前の日本は悪だった」と断罪され、その結果、社会学でいうところの「急性アノミー」(acute anomie)が生じ、それが現代日本社会をむしばむ元凶となっている、というのは、本著に限らず小室先生が絶えず指摘していることだ。

小室、渡辺両先生はこの章にて、東京裁判がいかに近代法の原則から逸脱した、滅茶苦茶なものだったかを指摘し、いわゆる「東京裁判史観」東京裁判によって生まれた、「戦前の日本は悪だった」とする歴史観の払拭を訴えるのである。

 

さて、個人的に面白いと思ったのは、つづく第四章。

戦前、戦時中において日本はどこで選択を間違ったのか、異なる決定を下していればその後の歴史はどうなったのか、について両先生が検討するという箇所だ。

歴史のターニングポイントとして挙げられているのは

・陸海軍大臣の現役武官制導入時

ノモンハン事件

ハル・ノート

ミッドウェー海戦

など多数。

特に「ハル・ノート」の項目における、小室先生の以下の指摘は大変興味深かった。

≪この「ハル・ノート」には、デッドラインの規定がありません。つまり、いつまでに、ということが書かれていないのです。ということは、「受諾しましょう」と言っておきさえすれば、それでよかったわけです。そして、要求にはまったく従わない。アメリカがしびれをきらして、「受諾した内容を、いつ実行するのか」と問い合わせてくれば、「まぁ、そのうちに」とでも言っておけばよいわけです。なぜならば、アメリカだって、まさか日本が受諾するとは思ってはいません。ですから、いつまでに、という規定を書かなかったので、その点を逆手に取ればよかったのです。≫(319-320頁)

「歴史にIFはない」などと言ってはいけない。我々はもっと、「歴史のIF」について考えるべきなのである。

 

封印の昭和史―戦後50年自虐の終焉

封印の昭和史―戦後50年自虐の終焉