Furusawa Keisuke's blog

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書評『共産主義を読みとく いまこそ廣松渉を読み直す 『エンゲルス論』ノート』

元外交官にして作家という異色の経歴を持つ、佐藤優氏。

先日は彼の講演録『現代に生きる信仰告白 改革派教会の伝統と神学(キリスト新聞社)をご紹介したが、今日取り上げる彼の著作『共産主義を読み解く いまこそ廣松渉を読み直す 『エンゲルス論』ノート』(世界書院)は、なかなかにハードな書物である。

もともと扱っているのが、マルクス主義の哲学者・廣松渉(1933‐1994)の『エンゲルス論』と難解なテーマであるうえに、講演録ではないので文体が書き言葉であり、一般読者にとってはハードルが高いのだ。

もっとも、当の佐藤氏は本著第1章にて≪読者としては、哲学についての専門的訓練を受けたこともなければ、左翼運動の活動歴もない、標準的公務員や会社員をあえて想定している≫(7頁)とさらりと書いている。

果たして本著を一読して「フムフム、なるほどなぁ」と理解できる「標準的公務員や会社員」など存在するのだろうか。はなはだ疑問ではあるのだが…(;^ω^)

 

本著の表紙には、もうひとつのサブタイトルという位置づけなのだろうか、「廣松渉 エンゲルス論との対座」という文言が載せられている。

「対座」という言葉が面白い。昔の左翼は「対質」(auseinandersetzung)という語を好んで用いたと聞くが、ここでいう「対座」も同じ意味だろう。

もちろん、「向き合って座る」というのが原義だ。だがその相手は、必ずしも生きた人間とは限らない。

佐藤氏は本著のなかで、すでに故人である廣松渉と一対一で向き合って座りながら、議論しているのである。

…いや、『エンゲルス論』自体、廣松が19世紀の思想家であるエンゲルスと一対一で向き合って座りながら議論したというべき書なのだから、佐藤氏は廣松を介してさらにエンゲルスとも向き合って議論している、と見るべきだろう。

思想家同士の「対座」はまた、囲碁将棋における棋士同士の「対局」をも連想させる。

 

対等な立場での議論であるから、佐藤氏は決して廣松を一方的に称賛するわけではない。彼の誤解を鋭く指摘する箇所も多い。

例えば、ロシアおよびその周辺地域に関する知識は、やはり佐藤氏のほうが一枚上手だったようだ。

≪その知識(註:廣松のロシア語の知識)は、率直に言って、中途半端であった。例えば、一般にロシア語の名字で、アもしくはヤで終わる場合、女性である。しかし、これは一般論だ。『ドイツ・イデオロギー』のロシア語新版(基本的にリャザノフ版への復古)を行ったバガトゥーリャを廣松は女性と誤認している。イヤ、もしくはアヤで終わる人名がグルジア西部のメグレリア地方に多いという知識が廣松になかったから生じた誤認と思われる≫(32頁)

そもそも佐藤氏は、自らを反革命の右翼と規定しているわけだから、マルクス主義者の廣松とは根本的なところで分かりあえないのだ。だからこそ彼は早々と≪結論はあらかじめ決まっている。筆者は廣松哲学の立場には立たない≫(23頁)と宣言してしまう。

それにも関わらず「対座」を続けるのはなぜか。≪廣松がどのような立ち位置から、この世界をどのように把握していたのかについては、筆者にも了解ができ、それを筆者の言葉に変換して、読者に提示することは可能であり、意味のある作業であると考える≫(23頁)からだ。

 

「筆者の言葉」とは何か。それは佐藤氏の得意分野である、神学だ(彼が同志社大神学部の出身であることを思い出してほしい)

一見すると無神論に見えるマルクス主義だが、佐藤氏はマルクス主義の―およびその先駆者であるヘーゲルヘーゲル左派の思想も含めてのー出発点はキリスト教であったことを暴き出していく。

この点、マルクス主義ユダヤ教の類似性を指摘した小室直樹(1932-2010)の業績を想起させ、興味深い。

だが、単に「マルクス主義は実はキリスト教でした!」で話は終わらない。

廣松は、マルクス主義者でありながらマルクス主義を換骨奪胎してしまったのだ。

彼はマルクス主義を、キリスト教から仏教へと転換したのである。それが、彼のスローガン「疎外論から物象化論へ」の意味なのだ。

廣松哲学と仏教の類似性については僕もつねづね思ってきたことなので、本著を読んで「あぁ、やっぱり」と納得したのだった。

 

それにしても本著を読んでみて、マルクス主義の進化(深化)においてエンゲルスの果たした貢献がきわめて大きなものであったことに、今更ながら驚いた。

マルクスエンゲルス」と常にマルクスの後に名が来るので、どうしてもマルクスのジュニアパートナー(格下の協力者)という印象を抱いてしまうが、実は非常に重要な思想家だったのだ。

 

共産主義を読みとく―いまこそ廣松渉を読み直す『エンゲルス論』ノート

共産主義を読みとく―いまこそ廣松渉を読み直す『エンゲルス論』ノート