Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『政治って何だ!? いまこそ、マックス・ウェーバー『職業としての政治』に学ぶ』

今日ご紹介するのは…タイトルを見れば一目瞭然ですね(w)、マックス・ウェーバーの名著『職業としての政治』についての対談本である。

対談するのは、元外交官にして作家の佐藤優氏と、元衆院議員の石川知裕氏のおふたり。

どうしてどちらの肩書にも「元」がついているのかというと、佐藤氏のほうはいわゆる鈴木宗男事件で逮捕され、石川氏のほうはいわゆる陸山会事件で起訴され…といった経緯で、ともに職を失ったからである。

似たような境遇の両氏、さぞや気が合うのだろう。

 

本著は対談であるが、やはりというべきか、神学・哲学に詳しい“佐藤先生”の講義を、読者代表の優等生・“石川くん”が聴講する、といった雰囲気になっている。

もちろんこの“石川くん”、勉強熱心で真面目な“生徒”さんなのだろうが、いかんせん、神学・哲学に関しては“佐藤先生”に敵わないようだ。

≪政治を理解するうえで一番押さえておかないといけないのは、「ジットリヒカイト(Sittlichkeit)」という言葉です。

石川 「ジットリヒカイト」? まったく聞いたことがない言葉です。≫(96頁)

Sittlichkeit=人倫。ヘーゲル哲学において中核をなすとされる言葉である。

 

なんでも知っている物知りの“佐藤先生”の話は、やっぱり勉強になる。

たとえばロシアにおける「ヴォルガ・ドイツ人」の話。

近世ドイツが宗教戦争で荒れに荒れていたころ、プロテスタントのなかでもさらに急進的な一派がドイツを追われ、ロシアへと移住した。彼らはロシア帝国において貴族にかわって農場の管理運営などを行い、重用されたのだという。

たしかにドストエフスキーの作品を読んでいると、しばしば在露ドイツ人が出てきて重要な役割を果たすので、いったいこのドイツ人たちは何者なんだろう、日本における在日韓国・朝鮮人みたいなものなのかな、とずっと不思議に思ってきた。

上記のようなバックグラウンドを持った人たちだったのだ。

 

本著で一番面白かったのは、後半の第3章にて、佐藤氏が「交換様式X」について語る場面。

「交換様式X」とはなにやら無駄にカッコいい響きだがラノベのタイトルに使いたいですねー批評家の柄谷行人氏が提唱しているアイデアで、国家とも資本主義とも違う、財の交換の新しい様式のことである。

柄谷氏は、この交換様式Xの思想を掘り下げるべく、従来の左右の垣根を取っ払い、権藤成卿(1868‐1937)農本主義や、ファシズムの思想などについても検討している。

佐藤氏は、そんな柄谷氏の仕事を高く評価しているようだ。

僕も今度、機会があれば、柄谷氏の著作を集中的に読んでみようかと思う。

 

本著は対談なので平易な話し言葉で書かれており、理解しやすい。

たとえば「完全無欠であるはずの神が、どうしてこの世に悪を創ったのか。それともそもそも悪など創っていないのか」という問題ー神学の世界では「弁神論」といいますーに対して近年ユダヤ人が出しているという仮説は、前回このブログでもレビューを書いた佐藤氏の著書『共産主義を読み解く~』でも取り上げられていた。

が、あちらは硬質な書き言葉の文体だったので、読んでみても、なにがなんだかちんぷんかんぷんだった。

本著を読んだおかげで、ようやくなんとなくわかってきた気がする。

 

 

…というわけで、今回の本もとても勉強になる本でした。チャンチャン♪…で本稿を締めくくろうかとも思った。

たしかに書評というのは本を褒めるためのものだから本来ならばそのほうが良かったのだろうが…最後に一点だけ、申し上げることにする。

佐藤氏が、神学における汎神論の議論と絡めて、菅直人政権のスローガン「最小不幸社会」を批判している箇所がある。

僕は、必ずしも菅元首相の支持者ではないがーというかむしろ概して批判的だがー佐藤氏のこの批判は、的外れであると考える。

 

社会学現代社会を、価値観が多様になった社会と考える。

価値観が多様になれば、人々の幸せの尺度もまた多様になる。年収200万でもアニメさえ見れれば幸せ~という人もいれば、女王様に縛られムチ打たれて幸せ~といういくぶん困った人もいるのだ。

一方で、不幸のかたちは大体どれも似通ったものとなるのである。それはたとえば、暴力とか貧困であったりする。

現代社会においては、幸福は多様であり、不幸は一様であるーこれはちょうど、トルストイアンナ・カレーニナ』の有名なセリフ幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」とは反対であることがわかる。

ならば、政府がやるべきことは、具体的なかたちがある程度分かっている不幸のほうを小さくすることですよね、人によって違う幸福を大きくすることについては、各人の試行錯誤に任せましょうね、というのが「最小不幸社会」のアイデアなのである。

僕はこのアイデア自体は、決して間違っていないと考えている。