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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『冲方丁のライトノベルの書き方講座』

作家の冲方丁(うぶかた・とう)さんは、ライトノベルから一般文学、さらにはゲームのシナリオまで、幅広い分野で活動している人物である。

彼にとって初の時代小説である『天地明察』はベストセラーとなり、映画にまでなった。

僕も見ました、映画は。

原作は…スイマセンまだ読んでません…(-_-;)

 

本著『冲方丁ライトノベルの書き方講座』(宝島社)は、その冲方丁さんによるライトノベルの指南書である。

 

一般人「えーっ、ライトノベルって、アレでしょ。やたらタイトルが長くて一つの文章みたいになっちゃってるやつでしょー? なんか『俺の脳内彼女がすでに俺のコミュ力を全力で凌駕している件』(※)みたいな? あんなのキモくないですかぁ~?」

まぁまぁ、そう言わずに(^▽^;)

※今、僕がまったく適当に思いついた架空のタイトルです。既存の作品名に似ているとしたら全くの偶然です。

 

本著前半では、冲方さんが実際にラノベを書いた際の経緯が開陳されている。

まず、キャラ設定を決め、ストーリーのプロットをつくる。これらがラノベの、いわば「骨」となるわけだ。これをもとに、「肉」をつけていくことになる。

この肉付けの過程で、元あった設定をばっさり切り落としてしまったり、逆に新たにキャラを追加することもあるのだという。

キャラの追加にあたっては、既存のキャラとかぶらないよう、性別や年齢を変えることもあるというから、なかなかに興味深い話だ。

 

後半では、いよいよ冲方さんが読者たちにラノベ、あるいは文章全般の書き方を指南してくれる。

キャラを生み出すための想像力を育むコツとして、冲方さんが「擬人化」を挙げているのは面白かった。僕も擬人化は好きで、過去にはこのブログで天体を擬人化したこともある。

文章そのものを磨く術としては、「好きな小説を写す」ことを挙げている。たしかに、このやり方は昔からよく言われていることだ。

だが、単に写すだけではない。「好きな小説の文体を変える」というのも一つの手だと冲方さんはいう。

これまた面白い。僕は以前、三島由紀夫の『憂国』を村上春樹っぽい文体に変えてみたらどうなるかと考えたことがある。

さぁこれから切腹するぞ!という主人公が、「…完璧な切腹などといったものは存在しないんだ。完璧な絶望が存在しないようにね。やれやれ」と言いながら切腹したら…なんか面白そうではないか!

…と思ったのだが、もちろん僕に文才がないせいで、思いついてからものの3秒で挫折してしまったことはいうまでもない。(;^ω^)

 

各章の合間にある「お昼休み」と題されたコラムでは、ラノベ業界の裏側についても垣間見ることができ、面白かった。

もっとも、この場合の「面白い」とは、野次馬的な好奇心を満たされる、といった意味であるが。

 

本著を読んでいると、この指南はライトノベルだけでなく、キャッチコピーや企画書にも通じるな、あるいはラノベという枠を超えて文学一般、はたまた文章を書くこと全般にも通じよな、と思う点が多々あった。

はじめから「あぁ、ラノベね。自分興味ないから」と決めつけるのは、非生産的な態度だと思う。

つねづね思っていることだが、一般文学とラノベの間にくっきりと境界線を引いてしまうのは、いかがなものか。

ラノベだってれっきとした文学だと僕は思っているし、一般に文学と呼ばれている作品の中にもラノベ的な要素はあるのだ。

例えば、以前このブログでも取り上げた、ドストエフスキー地下室の手記』。

後半で語られる主人公のおっさんのイタい過去は、ラノベに登場するスクールカースト底辺の主人公に通じるものがある。

※『地下室の手記』に限らず、ドストエフスキーは、同時代のロシアの文豪・トルストイと比べると、現代日本のサブカルチャーと親和性が高いように思う。

もっと、いい意味でラノベの特殊性が薄まってほしい、ラノベと一般文学の垣根が下がってほしい、と願う今日この頃だ。

 

 本著の最初から最後まで一貫している、冲方さんのユーモラスな語り口も気に入った。

…あ、『天地明察』の原作、ちゃんと読みます…

 

新装版 冲方丁のライトノベルの書き方講座 (このライトノベルがすごい!文庫)

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