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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『知性とは何か』

最近、人口に膾炙するようになったのが、「反知性主義」なる言葉である。

反知性主義ーなんだか、わかるような、わからないような、不思議な言葉だ。一体、反知性主義とは何なのだろうか。

 

というわけで今日ご紹介するのは、元外交官にして作家の佐藤優さんによる『知性とは何か』祥伝社だ。

 

佐藤さんによれば、反知性主義とは≪大雑把に定義するならば、「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」である≫(16頁)という。

こうした反知性主義者の典型として佐藤さんが挙げるのが、麻生太郎副総理である。

周知のように、麻生副総理は2013年7月29日に都内で開かれたシンポジウムにて「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言し、物議をかもした。

実際には、ヒトラー政権が全権委任法を成立させたのちも、ワイマール憲法は形式的には存在しつづけた。よって、上の麻生副総理の発言は、ナチスを称賛するという点であまりにも軽率であるうえに、事実誤認である。

こうした発言こそ、実証性、客観性を軽視して自分の殻に閉じこもる反知性主義のもっともわかりやすい例だ、と佐藤さんは主張している。

 

麻生副総理に限らず、こうした反知性主義が跋扈しているのが現下の日本なのだという。それはたとえば、在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチという形で現れる。

では、反知性主義を克服するには一体どうすればいいのか。

 

それには、各人の言語能力を高めることだ、と佐藤さんはいう。

この場合の「言語能力」とは、国語(我々の場合、日本語)と外国語、双方を操る能力という意味である。

ここから先、本著はにわかに語学マニュアルとしての性格を強めていく。

佐藤さんは、外国語を学習するのは良いことだが、その前にまず国語力を鍛えるべきだとする。

僕もまったく同意見だ。

僕は何事もコンピューターにたとえるのが好きである。コンピューターでいうなら、外国語はアプリケーションであり、国語はOSである。

土台となるべきOSがしっかりインストールされていなければ、そのうえにいくらアプリケーションをインストールしたところで、動作が安定しないのは必定であろう。

我々はまず国語力を鍛え、そのうえで、適切な学習法に基づいて外国語を学習しなければならない。

この“適切な”というところがポイントで、短期間で一気に覚えるのではなく長期間かけてゆっくりと覚えていくやり方のほうが、忘れにくく、語学学習として効率が良いのだという。佐藤さんは≪間違えた方法で外国語を勉強することは、人生の無駄なので避けるべきだ≫(104頁)と警告している。

 

そして、外国語習得に当たっては、語彙と文法を叩き込むことが大事だと佐藤さんは言っている。

これまた僕と同意見で、読んでいて思わず膝を打った。

最近の学校の英語教育では文法を軽視するきらいがあるが、佐藤さんは、いやいや文法こそが大事なんだよ、と昨今の風潮にくぎを刺しているのだ。

僕は、文法が大好きだ。書店でよく語学教本を立ち読みするが(←買えよっ!)、「あの映画のあのセリフ、英語で言ってみよう!」とか「海外ドラマを通じて生きた英語に触れてみよう!」みたいな内容の本には一切興味がなく、ひたすら文法にのみ関心が向かう。

人間の言語は、一見すると非常に雑駁で、法則性などないように見える。が、よく見ていけば、そのなかにも法則性はちゃんとある。それが文法なのだ。

中学のころ、英語の文法に触れて、僕は感動を覚えた。

今思えば、これは非常に理科系的な感性だった、と言えるだろう。自然科学もまた、複雑な自然界のなかから法則を洗い出していく知的営みに他ならないからだ。

 

本著第6章は「知性を身につけるための実践的読書術」と題されており、数々の興味深い著作が紹介されている。

語学マニュアルとしてもブックガイドとしても、本著はとても有益な書物だ。ぜひ座右に置いてほしい。

 

知性とは何か(祥伝社新書)

知性とは何か(祥伝社新書)