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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

ここがスゴイ!『シン・ゴジラ』

昨日の映画評では、庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』もちょっとだけ取り上げた。

だが当然、あれだけではまだ全然書き足りないと感じている。

そんなわけで、今日は『シン・ゴジラ』についてのみ語ることとしたい。

 

ある日、東京湾で突如として異変が発生。

アクアラインにて人的被害が及ぶに至り、首相官邸で会議が招集された。長谷川博己演じる主人公の内閣官房副長官は、巨大生物の可能性も否定すべきでないと主張するが、他の官僚たちはまるで相手にしない。

ところが。東京湾から姿を現したのは、まさにその“巨大生物”であったのだ!

まさかの事態に官僚たちは大恐慌。ことあるごとに「想定外」と繰り返し釈明する。

 

…と、ここまでが『シン・ゴジラ』の冒頭部分。日本人なら誰もがピンとくるはずだ。

ーそう、3.11における民主党政権無為無策を揶揄していることは明らかだ。

ここでようやく、庵野さんがこの2010年代において、あえて『ゴジラ』シリーズの新作を撮った意味が理解できる。

ゴジラは、3.11のメタファーだったのだ。

 

本作は、特撮アクション映画かと思いきや、意外にもポリティカル・サスペンスである。

その点が観客の意表を突いたわけだが、考えてみれば、そもそもの始まりである1954年版『ゴジラ』自体、かなり政治色の強い作品であった。

ゴジラは、核実験による放射能汚染の結果誕生した怪獣であり、東京中の建物という建物をことごとく破壊していくなか、皇居にだけは手を付けず、回れ右して立ち去るのである。

その後、『ゴジラ』がシリーズ化されると、子供連れの家族客が主なターゲットとなり、内容もどんどん人畜無害なものへと変化(退廃?)していった。

そんな流れを寸断したのが、この『シン・ゴジラ』なのだ。

タイトルにあるカタカナ表記の「シン」は、明らかに「新」と「真」を兼ねたダブルミーニングだ。まだ見ぬ“新しい”ゴジラは、その実、1954年版の伝統を直接に受け継ぐ“本物”のゴジラだったのである。

 

本作のキャッチコピーのひとつが、「ニッポンvsゴジラ」。

我らがニッポンーカタカナ表記なのが戦後日本特有の「軽さ」を的確に表現していて、良いーも負けてばかりはいられない。終盤にて反転攻勢に出る。

ここからはネタバレになってしまうので未見の方は読み飛ばしてほしい。日本が最後にとった手段は、ゴジラを冷凍(!)してその動きを止める、というものであった。

そして追い詰められた日本の尻に火をつけたのは、米国がゴジラに対し核を使用すると伝達してきたことであった。

唯一の被爆国である日本には特有の「核アレルギー」があるから、最終的に日本人を突き動かすきっかけとなったのが核というのは、まことに納得できる筋書きである。

核だけは、絶対に使わせてなるものか。

…このあたり、未だに「核=すごい大きい爆弾」程度にしか思っていないアメリカ人には理解が及ばないところだろう。

 

終盤。主人公たちは一丸となって、ゴジラ凍結作戦を遂行する。

この「一丸となって」というところが、僕が思うに『シン・ゴジラ』最大のポイントである。

アメリカ映画であれば、こういう場合、「個」が強い力を発揮する。

『インディペンデンス・デイ』と比較するとわかりやすいだろう。

『インディペンデンス・デイ』では、大統領は強いリーダーシップを発揮し、ついには自ら戦闘機に乗り込んで(!)敵UFOと戦う。あるいは、見るからにナード(オタク)然としたIT技術者が天才的ハッキング技術で敵の母船UFOにサイバー攻撃を仕掛ける。

これに対し、『シン・ゴジラ』の日本人は「個」でなく「集団」の力で難局に立ち向かうのだ。

日本人のこういう集団主義的な傾向に対しては、これまでネガティブな評価が下されることが多かった。だが『シン・ゴジラ』は、「いや、その短所こそがむしろ日本人の長所なんだ!」と断固主張、日本人の集団主義的な傾向を肯定するのである。

 

もうひとつ、『シン・ゴジラ』の大きなポイントとして、「スクラップ・アンド・ビルド」の発想を肯定している点が挙げられる。

壊れれば(スクラップ)壊れるほど良い。むしろ壊れてしまったほうが、ゼロから新しく組み立てる(ビルド)ことができるのでかえって好都合、というのが「スクラップ・アンド・ビルド」の発想だ。

経済学の世界では、これは「いっそ不況になって生産性の低いダメな企業が淘汰されたほうが、むしろ日本経済の競争力が増すのだから、かえって良いことなのだ」という“清算主義”と呼ばれる発想につながる。

シン・ゴジラ』は、明らかにそうした発想の上につくられた作品だ。

 

こうした主張が政治的に妥当なものなのかどうかは、もちろん議論が分かれるところだろう。僕個人はというと、実はわりと否定的である。(;^ω^)

だが、「政治的に妥当かどうか」と「娯楽映画としてカタルシスを得られるかどうか」とは、また別の話であると僕は思うのだ。

あまりいい喩えではないけれど、ナチスニュルンベルク大会の模様を描いたドキュメンタリー映画『意志の勝利』は、もちろんpolitical correctness(政治的正しさ)の観点からすれば問題ありまくりなのだろうが、一方で観客にカタルシスをもたらすことは否定できない。

本作は、その政治主張の妥当性はさておくとして、ポリティカル・サスペンスとしては、非常によくできた娯楽映画であった。

 

…だってさぁ、要所要所であの『エヴァンゲリオン』のヤシマ作戦のBGMが流れるんだよ? もう『エヴァ』ファンからすれば感涙ものでしょ?(w

 

結論:『シン・ゴジラ』は、ヒロインの石原さとみがウザすぎて殺意を覚えるという一点さえ除けば、非常に質の高いエンターテインメント作品であった。

 

 

シン・ゴジラ Blu-ray2枚組

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