Furusawa Keisuke's blog

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書評『系外惑星と太陽系』

今年2月、NASAが「驚くべき発見」をしたとして、緊急記者会見を開いた。

驚くべき発見ーそれは、地球から約40光年離れた赤色矮星のまわりを、地球と似た大きさの惑星が7個公転しているのが発見された、というものだった。しかもそのうちの3個は、水が液体として存在できる「ハビタブルゾーン(生命居住可能領域)に位置しているとされた。

俗に言う「地球の7つの妹」(Earth's seven sisters)の発見であった。

これら「妹たち」の発見は、地球が実は「奇跡の星」でもなんでもなく、この銀河系のなかでは「わりと普通にある星」に過ぎないことを示唆していた。

 

今日ご紹介するのは、太陽系外惑星研究の最先端についてレポートしてくれる『系外惑星と太陽系』岩波書店だ。

著者は惑星科学者の、井田茂さん。これまで数々の著作を世に出しており、テレビ出演も多い。先月著書を取り上げた渡部潤一さんと並んで、日本の天文学における顔的存在だ。

井田さんの文章はときに哲学的ですらあり、万人にとって分かりやすい渡部さんの文章とは、また違った魅力がある。

実を言うと僕は、結構、井田さんの文章のファンなのだ(べつに渡部さんの文章がダメだと言ってるわけじゃないですからねw)

 

さて、『系外惑星と太陽系』のなかで、井田さんはまず、系外惑星のこれまでの探索の歴史を振り返ることから始める。つぎに、系外惑星の研究の進展に伴い、再構築を余儀なくされた太陽系形成理論について概観していき、本著後半にて、生命存在の可能性を宿す「ハビタブル系外惑星」へと議論を進めていく。

 

我々人間は誰しも、自らのいる土地がこの世界のなかでは特権的な場所なのだと思いたがる。とりわけ、一神教の伝統のある欧米諸国ではそうした傾向が強い、と井田さんは指摘している。

しかし現代天文学の進歩は、そうした太陽系中心主義ないし地球中心主義から人類が解放される歴史でもあったのだ。

 

初めて系外惑星が発見されたのは、1995年のこと。

だが井田さんは、観測機器の進歩を考慮すれば、1980年代の段階で系外惑星が発見されてもよかったはずだと書いている。

発見が遅れた理由は、木星のような巨大ガス惑星が恒星のすぐ近くを公転していることなどあり得ない、という先入観に天文学者たちがとらわれていたからだ。

ところが、史上初めて発見された系外惑星は、木星ほどの巨大なガス惑星が太陽ー水星間よりも短い距離で恒星の周りをまわるという、「ホットジュピター」と呼ばれるタイプの惑星であった。

恒星の近くを地球のような小さな岩石惑星がまわり、遠くのほうを木星のような巨大なガス惑星がまわる、という我々の固定観念は、こうして完膚なきまでに破砕されたのである。

この太陽系のかたちだけが、ありうべき惑星系の唯一のかたちなどではなかった。この銀河系は、もっと多種多様な惑星系で満ちていたのだ。

我々は、こうして太陽系中心主義から解放されたのである。

 

系外惑星研究のさらなる進展により、我々は地球中心主義からも解放されつつある。

地球中心主義のひとつとして、前近代の天動説が挙げられる。21世紀の世界に住む我々は、もちろん天動説など信じてはいない。

だが、「水と生命にあふれたこの地球は、銀河系のなかではごくごく珍しい、奇跡の星」だと考えていた点で、我々はまだ地球中心主義から完全には自由でなかったのだ。

ところが現在、地球と似たハビタブル惑星は、次々と発見されつつある。

あいにく本著の出版までには間に合わなかったが、上述のとおり、赤色矮星の周りを「地球の7つの妹たち」がまわっていることまでわかってきた(ただし本著のなかでも、赤色矮星の周りをまわるハビタブル惑星の可能性については考察されている)

地球は決して「奇跡の星」などではなかった。この広い銀河系のなかでは、「わりと普通にある星」に過ぎなかった。

こうしてようやく、我々は地球中心主義から本当の意味で解放されたのである。

 

系外惑星と太陽系 (岩波新書)

系外惑星と太陽系 (岩波新書)