Furusawa Keisuke's blog

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書評『イスラエルとユダヤ人に関するノート』

パレスチナ問題に関して、日本ではパレスチナの肩をもつ人が多い。

元外交官にして作家という異色の経歴を持つ佐藤優さんは、そんな日本のなかではやや珍しく、イスラエルを支持する立場をとっている論者のひとりだ。

彼は一貫して、パレスチナの政治組織ハマースと、その背後にあってハマースの後ろ盾となっているイランを非難、日本と民主主義、市場経済などの価値観を共有するイスラエルや米国と連携することこそが日本の国益にかなうと主張している。

 

本著『イスラエルユダヤ人に関するノート』(ミルトス)は、そんな佐藤さんの思想がよくまとめられている本だ。

書き下ろしではなく、雑誌『みるとす』での連載をまとめて書籍化したものである。

こういう書籍の場合、普通は連載を年代順にまとめるものだが、本著はやや変則的なかたちをとっている。本著はおおまかに、インテリジェンス、神学など複数の章に分けられており、それぞれの章のなかで年代順にまとめられている。したがって章が変わると、連載も過去のものへとさかのぼる。その点が、ちとややこしい。

 

例によって、本著のなかで面白いと思った点をいくつか挙げる。

日本は米国に対し従属している! 今我々がなすべきは対米自立だ!

という声がよく聞かれる。昨夏、話題をさらった『シン・ゴジラ』も、そういう内容の映画であった。

だが佐藤さんは、こと中東外交に限っては、日本はすでに対米自立しており、そのことこそがむしろ問題なのだと言うのである。

 

日本は、西側先進国のなかでは、イランと比較的良好な関係にある。

だがそのイランは同時に、イスラエル国家の生存権を認めない(!)と公言している国でもある。

イランもイスラエルもともに国連加盟国であるから、こうしたイランの極端な対イスラエル政策は国連憲章の精神にも反する。一方、イスラエルはというと、イランと対立こそしているものの、イラン国家の生存権を否定したことは一度もないのである。

イランはさらに、日本にとっての大きな脅威である北朝鮮とも連携しており、両国の間で核、ミサイルなどの技術協力がなされているというのは、インテリジェンスの世界ではもはや公然の秘密となっている。

このような「ならず者国家」イランと、それを後ろ盾とするパレスチナのハマースに対し、曖昧な態度をとりつづけていていいのか。

否。日本は中東政策においてイスラエルの立場を支持し、イスラエル、米国と連携してイランに対し厳しい態度で臨め。

…というのが、佐藤さんの主張である。

 

現実の日本外交も、ときに佐藤さんの希望通りに動いてきた。

小泉純一郎政権後、日本政府は、米国のレッドライン外交を常に支持してきました。民主党菅直人首相ですら、米特殊部隊によるパキスタンにおけるウサマ・ビン・ラディン殺害(現地時間二〇一一年五月二日)を無条件で支持しました。この作戦はパキスタン政府の事前了解を得ずに行われたので、国際法的には明確な主権侵害にあたります。それですからNATO北大西洋条約機構)に加盟する米国の同盟国ですら、あからさまな支持はしませんでした。日本とイスラエルのみが突出して、米国のビン・ラディン殺害作戦を支持しました。私はこのときの日本政府の対応は正しかったと考えています。≫(237頁)

一方、安倍政権はこうした「対米追従外交」とは一線を画する対応を、シリア問題に関して行った。

2013年9月5日の日米首脳会談において、安倍首相は「米国のシリア攻撃を支持する」という言質を与えなかったのである。

この会談のわずか2日後にはIOC国際オリンピック委員会総会が開かれ、2020年オリンピックの開催地が決定される予定だった。その際に東京がイスラム諸国からの反感を買うことのないよう、安倍首相は「自主外交」を行ったのである。

我々はここで、固定観念を打破しなければならない。ここでいう固定観念とは、「自民党政権はアメリカのポチである。その点、民主党政権は確かに稚拙な面もあったかもしれないが、なんとかして自主外交を展開しようとした」というものだ。

だが現実は、必ずしもそうとは限らなかった。

ある面では民主党政権のほうが「アメリカのポチ」だったのであり、安倍政権は必ずしもそうではなかった。そして佐藤さんは、そんな「NOと言える安倍首相」にこそ危機感を抱いているのだ。

 

興味深かった点を、もうひとつ。

本著巻末で三島由紀夫自死がテーマとして取り上げられる。

佐藤さんは、1969年にソ連軍の侵攻に抗議して焼身自殺したチェコの学生や、旧約聖書「使徒言行録」におけるステファノの殉教と絡めて、三島の自死について論じるのである。

やや抽象的で難しい箇所なのだが、簡潔に言うと、三島の自死はハッキリ言って芝居がかかったものだったが、むしろ芝居がかかっていたからこそ、それはキリスト教神学における「象徴的行為」となったのであり、それはキリスト教の聖者の殉教とも相通じる、というものである。

僕は常々、クリスチャンである佐藤さんは、信仰と愛国心とをどうやって両立させているのか、いまいちよく分からなかった。

本著を読んで、まだ少しだけではあるが、分かるような気がしてきた。

 

日本ではどうしても「イスラエル=横暴な侵略者、パレスチナ=無辜の犠牲者」という図式で報道される傾向があるから、イスラエルとの連携とハマースとの決別を訴える佐藤さんの意見は新鮮で、とても興味深かった。

もちろん反発する読者も多いことだろうが、佐藤さんの主張に首肯するか否かは別にして、本著を読む価値は大いにあると言っていいだろう。

 

イスラエルとユダヤ人に関するノート

イスラエルとユダヤ人に関するノート