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Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『21世紀の自由論』

「この国には真っ当なリベラルがいないのか」

僕の周りでよく聞かれる言葉だ。

 

もちろんリベラルを自称する人たちは大勢いる。

だが彼らのやることなすことと言えば、なににつけても反戦護憲。口を開けば「安倍ファシスト政権を許すなー」ばかりだ。

彼らは、日本社会を20年にわたり蝕みつづけているデフレに対しなんら手を打とうとはせず、欧米基準では右派の政策である緊縮財政路線を支持し、同様に欧米基準では左派の政策である安倍政権のリフレ政策を認めようとしない。

先月には、さほど重要性があるとも思えない森友学園問題を延々と取り上げ、ほとんど“祝祭”の様相すら呈していた。その間にも朝鮮半島情勢は刻一刻と深刻化していき、4月中旬の現時点では北朝鮮有事がいよいよ現実のものとなりつつある。彼ら「リベラル」は物事のプライオリティ(優先順位)を完全に見誤っている。

 

そんな日本にあって、数少ない「真っ当なリベラル」の論者のひとりが、フリージャーナリストの佐々木俊尚さんだ。

僕は最近では、なにか大きなニュースが起きるたびに、佐々木さんのtwitterアカウントをチェックするようにしている。そこで示される彼のリアリスティックな見解は、他の多くの自称「リベラル」とは一線を画するものばかりだ。

 

今日ご紹介するのは、そんな佐々木さんの著作『21世紀の自由論』(NHK出版)だ。

もう冒頭からして切れ味抜群! デフレ、安全保障、原発などの問題をめぐって、既存の日本型リベラルーあるいはカタカナ表記でサヨクと呼んだほうがいいだろうかーを、まるでゲームのなかの戦国武将のように、バッサバッサとぶった切っていくさまは、痛快ですらある。

 

そんな流れが若干変わるのが、中盤。

佐々木さんは、リベラル・デモクラシーを基盤とする近代社会は、果たして本当に全世界で通用する普遍的なものなのか、と問いかける。

彼は、欧米型のリベラル・デモクラシーとは異なる社会だって有り得るのではないか、と考えているようだ。例えば中国やシンガポールがそうであるように。

ここらへん、僕は若干考えを異にする。1930年代にだって、「もはやリベラル・デモクラシーの時代は終わった! これからはファシズムの時代だ!」という意見はあったのである。もちろん生き残ったのはリベラル・デモクラシーのほうであった。

リベラル・デモクラシーは、僕らが思っている以上に、しぶと~いシステムなのである。

 

終盤。佐々木さんは、国際秩序は21世紀のうちに現行の形態から新しいそれへとゆっくりと移行していくだろうと予測する。

しかし彼は同時に≪いつかは別の世界秩序へと移行していく。しかし当面のあいだは、この世界秩序はなくならない≫(175頁)とも強調している。

佐々木さんはアメリカのキッシンジャー国務長官の「全体をまとめあげ、組織化する力のある別の原則が見つからない限り、既存の原則を解体すべきではない」(『世界秩序』)という言葉を引用し、安直に国家の廃絶を唱える日本型リベラルとは一線を画するのである。

佐々木さんのリアリスティックな態度がよく表れた箇所だ。

 

本著は、実に刺激に富んだ本だった。ようやくこの国にも真っ当なリベラルが現れてくれたか、とうれしくなった。