Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析篇』

先日は、作家の佐藤優さんの著書『新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇』(中央公論新社)をご紹介した。今日取り上げるのは、その姉妹版『新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析篇』中央公論新社だ。

 

さて、「右巻」「左巻」とは、なにやら聞き慣れない言葉である。普通こういう場合、「上巻」「下巻」と呼ばないか?

 

佐藤さんの著作には、このほかにも「右巻」「左巻」と名付けられたものがいくつかある。

これについて、あるとき僕の友人が興奮気味に、こう語ってくれたのをよく覚えている。

「右巻、左巻ってヘンな言い方だなぁと思ってたんですけどぉ、ある時ふと気づいちゃったんですよぉ! 右巻は右翼むけに書かれた内容の本で、左巻のほうは左翼むけに書かれた内容なんですよぉ!w スゴイと思いませんかぁ!ww さすが左右両方に明るい佐藤優ならではですよねぇ!!wwwwwwww」

…真偽のほどは定かではないが(;^ω^)、なるほどたしかに、本著を読むと「あぁ、なんか左翼が喜びそうな本だなぁ」という気がしてくる。

 

先日ご紹介した右巻のほうは、佐藤さんが得意のインテリジェンスの考え方を応用して、現下の国際情勢を分析する、という内容の本だった。

左巻のほうも、基本的な性質こそ変わらないものの、前半部分でやや集中的に、マルクス主義ファシズムに関する佐藤さんの考察が披露されるのだ。

そのため、国際情勢よりかはむしろ思想の話のほうが好き、という読者にとっては、右巻よりもこの左巻のほうが面白いと思えるかもしれない。

 

佐藤さんは、「帝国主義」と「ファシズム」というふたつの用語について、まずは「悪魔祓い」をする必要がある、と書いている。

このふたつの言葉は、もっぱら左翼が論敵を罵倒する際に用いられる。だが本来は、きちんとした意味のある言葉なのだ。

佐藤さんは、これらの言葉の定義から見つめなおし、現下の世界を分析するためのツールとして活用しようとしている。

 

本著(の下敷きとなった連載)が書かれたのは、2009年から2013年にかけてのこと。2009年には、周知のとおり、米国でオバマ大統領が誕生した。

佐藤さんはこのオバマ大統領と、意外にも、戦前イタリアのムッソリーニとの近接性について論じている。

リベラルも保守もない、黒人も白人もない、あるのはアメリカ合衆国だけだ、というオバマの演説に、佐藤さんはファシズムに通じるものを見出したのである。

 

佐藤さんは、ファシズムという用語の悪魔祓いとともに、ファシズムとナチズムの違いについても注目するよう読者に促している。これは重要な箇所なので、少し長いが引用する。

ベニト・ムッソリーニ総帥(ドゥーチェ)によって展開されたファシズム(fascismo)と、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統(フューラー)が始動したナチズム(Nationalsozialismus)を混同してはならない。ナチズムはドイツ人を中核とするアーリア人種の優越性という荒唐無稽な人種神話を基礎とする運動だ。(中略)これに対して、一九二〇年代にムッソリーニによって展開されたイタリアのファシズムははるかに知的に洗練された運動だった。その目的は、マルクス主義に基づく社会主義革命を排除しつつ、自由主義的資本主義がもたらした失業、貧困、格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによって解決することを提唱した。≫(30頁)

ファシズムははるかに知的に洗練された運動だった」という佐藤さんの言葉を、我々は重く受け止めなければならない。

支持する、しないにかかわらず、我々はまずファシズムという思想を知るところから始めなければならない。そしてファシズムとナチズムの違いについてもまた、知る必要があるだろう。

ムッソリーニは、ただのヒトラーの子分ではないのである。

 

このほかに、本著のなかで面白かった箇所。北方領土問題に疎いバカな政治家をいかにして官僚は懐柔するか、という話は抱腹絶倒モノだった。

これは、≪官僚はいかに政治家に対応するか≫というタイトルがつけられた章、ページで言うと368ページから370ページにかけて載っているので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

まさに、外交は言葉の芸術。

この場合の「外交」は、国家間だけでなく、官僚と政治家という人間同士での社交も含んでいる。

ちなみに僕は、漫画『さよなら絶望先生』における、「編集者はいかにしてツマラナイ漫画家の連載をオブラートにくるみながら打ち切るか」というネタを思い出しながら、この章を読んだのだった。

 

新・帝国主義の時代 - 左巻 情勢分析篇