Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『新約聖書』

「…ファ!? し、新約聖書の書評ってwwww」

と、タイトルを見て皆さん思われたかもしれない(;^ω^)

 

今日取り上げるのは、文春新書にまとめられた、新共同訳『新約聖書(全2巻)だ。

解説を担当するのは、佐藤優さん。

本ブログではこれまで佐藤さんのことを、なかば定型句的に「元外交官にして作家という異色の経歴を持つ~」と紹介してきた。

だが、そもそも佐藤さんは同志社大学神学部の出身。本来、外交官になるつもりはなく、チェコ神学者について研究するため、チェコ語の研修を受けに外務省の門をたたいたのだった。

佐藤さんは、インテリジェンス云々以前に、そもそもは神学の人だったのだ。新約聖書の解説役には、したがってうってつけと言えるだろう。

 

本著では、新約聖書を構成する27のテキストが新書2冊のかたちでまとめられており、それぞれのテキストの前には佐藤優さんによる解説文が添えられている。

さらに、1巻、2巻それぞれの巻末には、「私の聖書論」と題した佐藤さんの論考が載せられている。これらの論考は、新約聖書からは独立したひとつの読み物として楽しむことができる。

本ブログでも、むしろこちらの論考のほうを中心に解説したいと思う。

 

1巻巻末の『非キリスト教徒にとっての聖書ー私の聖書論Ⅰ』にて、佐藤さんはかなりページを割いて、文芸評論家・柄谷行人さんの『世界史の構造』について解説している。

「え、聖書の解説のはずなのになんで柄谷が出てくるの?」と読者は不思議に感じるに違いない。だが、もちろんこれには意味がある。

我々が暮らすこの社会を支えているのは、モノの交換のしかたーすなわち交換様式である。

柄谷さんは、既存の交換様式、すなわち、互酬、略取・再分配、商品交換とは異なる、新しい交換様式、言うなれば「交換様式X」こそが、我々人類が追い求めるべき理想の交換様式だとしている。

当然それは、従来のソ連社会主義とは異なる。柄谷さんによれば、それは「自由で同時に相互的であるような交換様式」なのだ。

…なんだか抽象的すぎて、分かるような分からないような説明だ。だが佐藤さんは、新約聖書の四つの福音書のなかでイエスが説いている社会のありかたこそ、柄谷さんのいう「交換様式X」に他ならないと見ているのだ。

 ≪国家も貨幣も、それが人間社会にある以上、拒否はしないが、そこに究極的価値を見いだしてはならないというのがイエスの教えなのである。それだから、キリスト教徒は自らの価値観を国家や貨幣と同一化してはならないのである。≫(375頁)

このように新約聖書を柄谷さんの議論と絡めながら読むと、知的好奇心を大いに刺激されることだろう。

 

『私の聖書論Ⅰ』にて佐藤さんはこのほかに、自らのお母さんのエピソードについても書いている。

本ブログでも以前書いたが、佐藤さんのお母さんは沖縄の人で、沖縄戦の際には自決を覚悟したが、寸前のところで傍にいた日本兵が投降を勧めたことから、自決を思いとどまったのであった。

そのおかげで、異色の知識人・佐藤優はこの世に生を受けることができたのである。

これは、日本国家が佐藤優という得がたい知性を手に入れることができた、という意味でもある。

このような生い立ちの経緯に、佐藤さんが「神の意思」を感じているだろうことは想像にかたくない。そしてそれが、知識人・佐藤優をきわめて宗教的な実存の持ち主へと育てたのだろう。

 

新約聖書 1 (文春新書 774)

新約聖書 1 (文春新書 774)

 
新約聖書 2 (文春新書)

新約聖書 2 (文春新書)

 

 

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