Furusawa Keisuke's blog

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書評『世界史の極意』

高校生の時分、僕が一番好きで、かつ得意だった科目は、世界史であった。

 

皆さんはどうだったろうか。

「えー、世界史ィ? 延々と歴史用語の暗記ばかりさせられて、もう辟易したよ~」という人も少なくないかもしれない。

だが、世界史は、極めて重要度の高い科目である。

世界中でナショナリズムが火を噴いている21世紀の今日、ビジネスパーソンは世界史を当然のごとく押さえていなければならない。

いや、なにもビジネスで世界を飛び回らなくたっていい。この21世紀の世界を生きる我々は、世界史を基礎教養としなければならないのだ。

 

とはいうものの、本棚の隅でほこりをかぶっている高校時代の世界史の教科書を引っ張り出してみたところで、正直あまり意味はない。単に年表を漫然と眺めているだけでは、過去と現在がどのようにリンクしているかが、わからないからだ。

今回ご紹介する、作家・佐藤優さんの『世界史の極意』(NHK出版)は、世界史を学びなおすうえで、まさにうってつけの書籍だ。

 

世界史を勉強する目的はなにか。佐藤さんによれば、それは≪過去に起きたことのアナロジー(類比)によって、現在の出来事を考えるセンス≫(10頁)を身に着けることである。

アナロジーとは何ぞや。似ている事物を結びつけて考えることである。

歴史は反復する。世界史を遡って、過去に現在と似た現象が起こっていたことに気づけば、それを手掛かりに、今我々が何をなすべきかについて考えることができる。

佐藤さんによれば、現在の世界は、19世紀末‐20世紀初頭の帝国主義の時代と似ている。かつてのような植民地を必要としないので佐藤さんは「新・帝国主義」と呼んでいるが、本質は帝国主義と同じである。

すると、かつての帝国主義について学べば、今日の世界を考える上でのヒントが得られることになる。

こういう思考が、アナロジーなのである。

 

佐藤さんのねらいは、本著を通じて世界史をアナロジカルに見る訓練を読者にほどこすことである。

そのために、本著は「資本主義と帝国主義」「民族とナショナリズム」「キリスト教イスラム」という3つのテーマを取り上げている。

これらのテーマに関する佐藤さんの説明をしっかりと読めば、世界情勢をアナロジーによって理解できるようになる。国際ニュースを見る目がだいぶ変わるに違いない。

 

さて、本著を概観して最も印象に残ったのは、終盤で佐藤さんが述べている「プレモダンの精神をもって、モダンをリサイクルする」という言葉だ。

なんのこっちゃ、と思われるかもしれないが、要はこういうことだ。

資本主義、国民国家によって代表される近代(モダン)というシステムは、まだまだ終わらない。したがって、近代の次の時代ポストモダンを構想するのは時期尚早である。我々が目指すべきは、近代という枠組を維持したうえで、戦争を止めること(モダンのリサイクル)なのである。

しかしそれだけではない。宗教的な、「見えない世界」へのセンス(プレモダンの精神)もまた求められると佐藤さんは言う。そのセンスとは、より専門的に言えば、キリスト教神学における実念論である。「目には見えなくとも存在するもの」があることを認める、ということだ。

こうしたプレモダンの精神でもって、我々は現下のモダンの世界を維持しなければならないのである。

 

佐藤さんは、目には見えない<なにか>への畏敬の念の強い人である。

それは、極めて根源的な意味での「右翼」と言っていい。

すると、これからの時代、求められるのはそうした「右翼」なのかもしれないな、と本著を読みながら僕は思った。

 

世界史の極意 (NHK出版新書)

世界史の極意 (NHK出版新書)