Furusawa Keisuke's blog

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書評『奇妙な廃墟』

現在の論壇において、いささか特異なポジションを占めているのが、文芸評論家の福田和也さんだ。

昭和天皇石原莞爾の評伝などを書いていることから、いちおう保守の論客、ということになってはいる。が、いわゆる「従軍慰安婦」問題や「南京大虐殺」問題、靖国問題竹島問題などについて、あまり積極的に発言しているわけではない。

「福田は“アイロニーの評論家”なのであって、あえて保守の立場を偽装しているにすぎない」のだと、よく評される。

福田さんはまた、媒体ごとに変化する、カメレオンのような文体でも有名である。

ものすごく高尚な文体で戦前右翼の評伝を書くかと思えば、まるで別人のような汚い言葉でパンクを論じることもある。

 

今回取り上げる『奇妙な廃墟』筑摩書房は、そんな福田さんにとってデビュー作となった本だ。

そもそもは彼が大学院時代に書いていた論文で、それを書籍化したものである。

この本が、文芸評論家・江藤淳さんの目にとまったことで、福田さんは江藤さんの弟子ないし後継者的存在となり、以降、保守論客としてのキャリアを重ねていくこととなる。

『奇妙な廃墟』は、したがって、文芸評論家・福田和也の原点、ともいえる作品なのである。

 

本著のテーマは、コラボラトゥール(Kollaborateur)

…といっても日本の一般読者には、なにがなんだかさっぱりだろう。

コラボラトゥールー一般には「対独協力者」と訳されるーとは、第二次大戦時にナチス・ドイツによる占領に協力した人々のことを指す。

本著にて、福田さんはコラボラトゥールないしその先駆者として、以下の人々の名を挙げている。

アルチュール・ド・ゴビノー

モーリス・バレス

シャルル・モーラス

ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル

ロベール・ブラジヤック

リュシアン・ルバテ

ロジェ・ミニエ

福田さんは本著のなかで、いまや歴史の闇のなかに埋もれつつある彼らに光を当てていく。その過程で、世間一般における彼らへの評価が、実は誤解であることが明らかになる。

たとえばゴビノーは今日ではレイシズム(人種主義)の理論家として悪名高い。たしかに彼は異人種間の混血が進むことで文明は死滅すると主張していて、それは後のナチズムに大きな影響を与えることとなる。

が、同時にゴビノーは≪各人種間の価値の上下や、なかんずく白人種やアーリア人種の優越といった価値判断は全くおこなっていない≫(75頁)のである。ナチズムを特徴づける反ユダヤ主義についても、ゴビノーの著作からそれを見出すことはできない。

 

福田さんは、このように本著においてコラボラトゥールないしその先駆者たちの弁護人の役を買って出る。

こうした「右翼の弁護人」としての姿勢こそ、文芸評論家・福田和也のいちばんの特徴なのだ。

福田さんは本著を世に出して後、乃木希典石原莞爾などの評伝も書いた。社会から反動的、ファシストと非難されている人々を弁護するという福田さんの姿勢は、デビュー作から一貫していたのである。

 

本著ではこのほかにも、現代日本ではわりと左翼的とみなされることの多い社会学が、その根底では意外にもファシズムと繋がっていることなどが明らかにされる(これについてはシャルル・モーラスの章を参照されたし)

このように知的刺激に満ちた本著だが、読むにあたってひとつ、気をつけてほしいことがある。

我々日本の読者は、フランスの右翼、およびその活動の舞台であるフランス第三共和政についての予備知識がきわめて乏しいということだ。

ドレフュス事件ならば「あぁ! そういえば世界史の授業でそんなのやったなぁ」と思い出せるかもしれないが、ブーランジェ事件ともなると、もはや多くの人はお手上げであろう。

そこで、知らない人名、事件名が出てきたらその都度ネットで調べながら本著を読みすすめる、というやりかたを提案したい。あるいは、高校時代の世界史の教科書がまだ手元にあるという方は、それを参考にしながら本著を読みすすめるとよいだろう。

 

本著を読んでみて、あぁ、福田さんはファシズムが好きなんだな、とつくづく思った。

先に、「福田は“アイロニーの評論家”なのであって、あえて保守の立場を偽装しているにすぎない」との評があることを紹介した。

たしかに、福田さんは通常の意味での保守ではない。だが、左翼というわけでもない。

ではいったい何者なのか。

 

答え。福田さんは、ファシストなのだ。