Furusawa Keisuke's blog

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書評『プラハの憂鬱』

先日は、作家・佐藤優さんの『同志社大学神学部』を取り上げた。

佐藤さんが京都・同志社大での自らの学生生活を回顧した本だ。

 

佐藤さんは同志社大を卒業後、チェコ語研修を希望して外務省に入省する。が、実際に研修を命じられたのはチェコ語ではなく、ロシア語であった。

当時、ロシアはまだ「ソ連」と呼ばれ、鉄のカーテンの向こう側であった。そのため、西側の外交官である佐藤さんは、当初、モスクワではなくイギリスのロンドンにてロシア語の研修を受けたのである。

今日取り上げる佐藤さんのノンフィクション『プラハの憂鬱』(新潮社)は、佐藤さんがイギリス留学時代を回顧した内容の著作だ。

 

佐藤さんはイギリスにて、亡命チェコ人たちと接する機会を得た。

佐藤さんのノンフィクションにおける華ともいえるのが、佐藤さんと現地の知識人との知的すぎる対話である。

佐藤さんは彼らと、哲学・神学やソ連ゴルバチョフ政権の今後などについて議論していく。

何十年も前の会話をよくもまぁこれだけ正確に記憶しているものだなぁ、とほとほと関心させられる。(;^_^A

 

大英帝国時代の栄光を失ったとはいえ、イギリスは今日でもなお、帝国である。

佐藤さんが留学した陸軍の語学学校は、ロシア語学科のほかにドイツ語学科などがあり、フォークランド紛争の際には急遽スペイン語学科が新設された。

ようするに、イギリスにとっての仮想敵国の言語を学習するための学校なのだ。

イギリスはまた、同校を卒業したOBたちとの人脈を維持し、いざという時(テロとか革命とか)には彼らとの人脈をふんだんに活用するのである。

決して、慈善で語学学校を運営しているわけではないのだ。

イギリスの国際社会に対する態度は、このように極めてシビアである。

 

イギリスの帝国としての証のひとつが、主にロンドン市内に移住ないし亡命している多数の異民族だ(そのなかのひとつに亡命チェコ人たちがいる)

イギリス社会は彼らのコミュニティーに基本的に関知しない。

これが隣国フランスだったら「フランス市民になれ!」「自由・平等・博愛という共和国の理念に忠誠を誓え!」と臆面もなく要求してくるところだ(これを同化主義という)

イギリスはそういうことは言わない。植民地支配においても、なるべく現地の民族の慣習に首を突っ込まないできた。

だからこそ、彼らはあれだけ大きい帝国を維持できたのだ。

…もっとも、そうしたやり方が本当に正しいのかどうかは、実のところ分からない。たとえば中東系移民のコミュニティーがイギリス社会に同化されずに取り残され、今日それがテロの温床となりつつあるからだ。

 

さて、実を言うと我らが日本もかつては植民地帝国だったのであり、今日もなお大国なのである。

本著のなかで、佐藤さんと亡命チェコ人が以下のような対話をしている。

≪日本は大国なので、日本人にはチェコ人のような弱小民族の気持ちを理解することは難しいと思います」

「日本人は、自らを小民族と考えています」

「しかし、日本の人口は英国よりも多い。それについ四十数年前に日本は全世界を敵に回して戦いました」≫(69頁)

佐藤さんも指摘しているように、日本人には自らの国が大国だという自覚がない。だが亡命チェコ人の目から見れば、日本はれっきとした大国なのである。

それはなにも、(昨今のテレビ番組にありがちな)「日本はこんなにも素晴らしい国です!」「ごらんください、世界の人々がこんなにも日本を愛しています!」といったたぐいの安直な日本礼賛ではない。

大国は国際社会に対し責任を負っている。ところが自らが大国だという自覚のない大国は、往々にして無責任な態度をとってしまいがちである。現下の日本の問題点のひとつが、それだ。

ようするに、日本は大国だから素晴らしいのではなく、日本は大国であるにもかかわらずそれを自覚できていないからダメなのである。

 

日本はもっと、大国ないし「帝国」としての自覚をもったイギリスを見習うべきだろう。同じ島国なんだしさ。

 

プラハの憂鬱

プラハの憂鬱