Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『棋士の一分』

今日、将棋界において異彩を放っているのが、橋本崇載八段だ。

派手なスーツに金髪というまるで歌舞伎町のホストのような外見と、NHK出演時に他のプロ棋士のモノマネをするなど、絶えずネタを投下しつづけるサービス精神から、ネット上では「ハッシー」との愛称で親しまれている。

一方で、昨秋の三浦九段冤罪事件の際、twitterにて三浦九段を「1億%クロ」であるとツイート、後に撤回・謝罪するなど、なにかと“舌禍”の絶えない人でもある。

 

今回ご紹介するのは、そんな橋本八段による新書『棋士の一分』KADOKAWAだ。

橋本八段はこれまでに棋書を2冊刊行しているが、一般向けの新書を書いたのは今回が初めてである。

ちょうど三浦九段にソフト不正使用疑惑がもたれた最中に刊行された本なので、冒頭ではさっそくこの問題が触れられ、将棋界の従来の「事なかれ主義」が批判されている。

 

本著を読むと、橋本八段が、その派手な言動とは裏腹に、非常にまじめな人物であり、将棋界の将来を強く憂いていることが分かる。

冒頭部分からも明らかなように、橋本八段は本著の多くの箇所にて、現在の将棋界のありかたを強く批判している。

前述のとおり、彼はなにかと“舌禍”の絶えない人なので、僕は内心ひやひやしながら本著を読んでいたが、それも杞憂に終わった。確かにきつい言葉もあるが、それだけ将棋界の将来を憂いているからだと理解できる。

 

一般論として、批判を展開する人間には同時に対案を出すことも求められる。

橋本八段は本著において、将棋界改革のための具体的な提言をいくつかしている。

たとえば、「オールスター棋戦」の立ち上げがそれだ。

これは、野球のオールスター戦と同じように、将棋界においても、ファンからの人気投票によって出場棋士を選抜し、棋戦を行おう、というアイデアである。橋本八段はこのオールスター戦の資金をクラウドファンディングによって賄うことまで提案している(119頁)

このほかにも橋本八段は、現在の将棋界は現役棋士の数が多すぎるとして、すでに第一線で戦うのが難しくなったベテラン棋士は「レッスンプロ」としてアマチュアの指導に徹するべき、と主張している。

 

これらの提言には僕も大いに首肯できたが、一方で、橋本八段の主張のなかにはいささか時代錯誤と感じられるものもある。

たとえば「名人戦バラエティ化していいのか」という章では、ニコニコ生放送による棋戦中継が伝統文化をないがしろにするものだとして批判されているが、僕は(最近ではAbemaTVにおされているとはいえ)ニコニコ生放送が大好きで、いつも他のユーザーたちと一緒に「タノシソウダネ」弾幕を張るなどして楽しんでいる。べつに伝統文化をないがしろにしているつもりはない。

こういう楽しみ方があったって、それはそれで、いいのではないか。

 

書評というのは基本的に、本ないしその著者を褒めるための文章なのだが、最後にひとつ、僕が橋本八段と見解を異にする点を明らかにして本稿を締めくくるとしよう。

橋本八段は、米長邦雄日本将棋連盟元会長(1943‐2012)に批判的である。具体的には、米長時代に始まったコンピューターvs人間の対決「将棋電王戦」が結果的にプロ棋士のバリュー(価値)に傷をつけたと批判しているのだ。

たしかに、「なんだ、人間の棋士なんて大したことないじゃん」と感じた将棋ファンもいたことは否定しない(いわゆる「ソフト厨」というやつである)

だがそのことをもって米長時代を否定することなどできない。

米長会長のおかげで将棋界とドワンゴとの間につながりができ、だからこそ電王戦が生まれ、だからこそ(電王戦の出場棋士を決めるトーナメントという位置づけで)叡王戦が生まれ、だからこそ「第8のタイトル戦」が生まれたのである。

米長会長がいなければ、将棋界のタイトルは減りこそすれ、増えることなどありえなかっただろう。